読み方:とうさこていかきんナノりゅうし
英語:SGNP
英語:Sugar chain immobilized Gold Nano Particle
英語:Sugar-immobilized Gold Nano Particle
粒子表面に糖鎖(糖が鎖状に連なった分子)を固定した、ナノサイズの金粒子のこと。鹿児島大学の隅田泰生教授を中心とした研究グループにより開発された。
糖鎖固定化金ナノ粒子は、タンパク質と糖鎖との相互作用を目視で確認することができるツールとして用いられている。タンパク質、細胞、ウイルスなどの中には、特定の糖鎖に特異的に結合するものがあるため、糖鎖固定化金ナノ粒子をタンパク質、細胞、ウイルスなどの単離、同定、検出などに利用することができる。
糖鎖固定化金ナノ粒子の水溶液は赤紫色をしているが、糖鎖と特異的に結合する物質を加えると、凝集が生成されるとともに水溶液が無色に変色し、目視で反応の有無を確認することができる。糖鎖固定化金ナノ粒子を用いた手法は、従来の手法と異なり、検出したい物質を事前に標識する必要がない点が優れているとされる。また、凝集の生成により物質が濃縮するため、検出感度が高まることも利点とされている。凝集した塊を遠心分離によって取り出したり、凝集塊から反応物質を定量的に回収することも可能である。
糖鎖固定化金ナノ粒子を利用して、インフルエンザウイルスの有無を超高感度で迅速診断する手法が開発されており、不顕性感染や潜伏期間中の患者の特定にも成功している。2006年に隅田泰生教授を社長として創立されたスディックスバイオテック社は、糖鎖固定化金ナノ粒子を用いた唾液からのインフルエンザウイルスの簡便検出法を開発し、2014年1月現在、5年以内の実用化を目指すとしている。
関連サイト:
SGNPを用いたウイルスの超高感度検出方法について - スディックスバイオテック
新語時事用語辞典とは?
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2014年1月27日月曜日
ユーリヤ・ティモシェンコ
別名:ティモシェンコ
別名:ティモシェンコ首相
別名:ユーリヤ・ヴォロドミリヴナ・ティモシェンコ
別名:Юлія Володимирівна Тимошенко
別名:Юлія Тимошенко
英語:Yulia Tymoshenko
英語:Yulia Volodymyrivna Tymoshenko
1960年生まれのウクライナの政治家・実業家。2005年に第11代首相を務め、2007年から2010年まで第14代首相を務めた。1996年に政治家に転身する以前は、天然ガスの輸入・卸売業を営んでおり、ウクライナ国内でも随一の資産を築き上げたことから、「ガスの王女」の通称でも知られていた。
ユーリヤ・ティモシェンコは、2004年ウクライナ大統領選挙に際して起こったオレンジ革命でヴィクトル・ユシチェンコの盟友として頭角を現し、民衆の支持を集めた。しかし首相就任後、ティモシェンコはユシチェンコと対立し、2005年にはユシチェンコが大統領令でティモシェンコ首相を含む全閣僚を解任するに至った。
2010年ウクライナ大統領選挙でユーリヤ・ティモシェンコは、オレンジ革命で対立し、大統領の座を追った相手であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチと対決したが、約3.5%の僅差で落選した。ティモシェンコ陣営は選挙に不正があったとして提訴したが、のちに訴えを取り下げた。
ヤヌコーヴィチ政権の下、ユーリヤ・ティモシェンコは2011年8月に、ガス会社経営に関する汚職の容疑で逮捕され、2014年1月現在に至るまで収監されている。身柄拘束の際には、ティモシェンコ支持派の市民数百名が抗議活動を行い、首都の幹線道路が封鎖されるなどの混乱もあった。また、1996年に起こった上院議員エフゲニー・シェルバンらの殺害をティモシェンコが依頼したとして、殺人の容疑もかけられた。
2013年には、ウクライナの欧州連合(EU)加入にあたり、EUとの関係改善を目的として、ティモシェンコが治療を名目に事実上釈放される可能性があるという話がメディアなどによって伝えられ、民衆の間に広まった。しかし、政府はEU加盟に向けての連合協定を凍結し、親露路線をとるとともに、ティモシェンコを再逮捕した。連合協定凍結をきっかけに発生した反政府デモ「ユーロマイダン」の参加者には、ティモシェンコの支持者も多く含まれていたとされている。
関連サイト:
Yulia Tymoshenko
別名:ティモシェンコ首相
別名:ユーリヤ・ヴォロドミリヴナ・ティモシェンコ
別名:Юлія Володимирівна Тимошенко
別名:Юлія Тимошенко
英語:Yulia Tymoshenko
英語:Yulia Volodymyrivna Tymoshenko
1960年生まれのウクライナの政治家・実業家。2005年に第11代首相を務め、2007年から2010年まで第14代首相を務めた。1996年に政治家に転身する以前は、天然ガスの輸入・卸売業を営んでおり、ウクライナ国内でも随一の資産を築き上げたことから、「ガスの王女」の通称でも知られていた。
ユーリヤ・ティモシェンコは、2004年ウクライナ大統領選挙に際して起こったオレンジ革命でヴィクトル・ユシチェンコの盟友として頭角を現し、民衆の支持を集めた。しかし首相就任後、ティモシェンコはユシチェンコと対立し、2005年にはユシチェンコが大統領令でティモシェンコ首相を含む全閣僚を解任するに至った。
2010年ウクライナ大統領選挙でユーリヤ・ティモシェンコは、オレンジ革命で対立し、大統領の座を追った相手であるヴィクトル・ヤヌコーヴィチと対決したが、約3.5%の僅差で落選した。ティモシェンコ陣営は選挙に不正があったとして提訴したが、のちに訴えを取り下げた。
ヤヌコーヴィチ政権の下、ユーリヤ・ティモシェンコは2011年8月に、ガス会社経営に関する汚職の容疑で逮捕され、2014年1月現在に至るまで収監されている。身柄拘束の際には、ティモシェンコ支持派の市民数百名が抗議活動を行い、首都の幹線道路が封鎖されるなどの混乱もあった。また、1996年に起こった上院議員エフゲニー・シェルバンらの殺害をティモシェンコが依頼したとして、殺人の容疑もかけられた。
2013年には、ウクライナの欧州連合(EU)加入にあたり、EUとの関係改善を目的として、ティモシェンコが治療を名目に事実上釈放される可能性があるという話がメディアなどによって伝えられ、民衆の間に広まった。しかし、政府はEU加盟に向けての連合協定を凍結し、親露路線をとるとともに、ティモシェンコを再逮捕した。連合協定凍結をきっかけに発生した反政府デモ「ユーロマイダン」の参加者には、ティモシェンコの支持者も多く含まれていたとされている。
関連サイト:
Yulia Tymoshenko
北方領土の日
読み方:ほっぽうりょうどのひ
1981年に政府によって制定された、北方領土の記念日。1855年に日露和親条約が締結された、2月7日にあてられている。
北方領土の日は1980年11月に、衆参両院で「北方領土問題の解決促進に関する決議」が全会一致で採択されたことに基づき、翌年1月の閣議了解により制定された。閣議了解には、「この日を中心として全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図る」と記された。北方領土の日が2月7日とされた理由としては、日露和親条約で択捉島とウルップ島の間に国境が定められたことが挙げられている。
毎年北方領土の日には、東京都で行われる「北方領土返還要求全国大会」や根室市で行われる「根室管内住民大会」など、北方領土(北方四島)の返還要求に関連する運動が全国各地で行われている。ロシア側は、2014年1月現在、北方領土の日に対して公式に反対声明などは発表していないが、2013年の北方領土の日にロシア軍の戦闘機2機が利尻島沖で領空侵犯を行った出来事は、北方領土の日に対する反発の意志の表明と理解されることが多かった。
安倍晋三首相は、2014年2月7日に行われるソチオリンピックの開会式への欠席を表明し、その理由として、国会会期中であることとともに、2月7日が北方領土の日であることを挙げた。
関連サイト:
2月7日「北方領土の日」の設定 - 独立行政法人 北方領土問題対策協会
2月7日とは - 内閣府北方対策本部
1981年に政府によって制定された、北方領土の記念日。1855年に日露和親条約が締結された、2月7日にあてられている。
北方領土の日は1980年11月に、衆参両院で「北方領土問題の解決促進に関する決議」が全会一致で採択されたことに基づき、翌年1月の閣議了解により制定された。閣議了解には、「この日を中心として全国的に集会、講演会、研修会等の行事を行い、この問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層強力な推進を図る」と記された。北方領土の日が2月7日とされた理由としては、日露和親条約で択捉島とウルップ島の間に国境が定められたことが挙げられている。
毎年北方領土の日には、東京都で行われる「北方領土返還要求全国大会」や根室市で行われる「根室管内住民大会」など、北方領土(北方四島)の返還要求に関連する運動が全国各地で行われている。ロシア側は、2014年1月現在、北方領土の日に対して公式に反対声明などは発表していないが、2013年の北方領土の日にロシア軍の戦闘機2機が利尻島沖で領空侵犯を行った出来事は、北方領土の日に対する反発の意志の表明と理解されることが多かった。
安倍晋三首相は、2014年2月7日に行われるソチオリンピックの開会式への欠席を表明し、その理由として、国会会期中であることとともに、2月7日が北方領土の日であることを挙げた。
関連サイト:
2月7日「北方領土の日」の設定 - 独立行政法人 北方領土問題対策協会
2月7日とは - 内閣府北方対策本部