読み方:マウントゴックス
別名:Mt.Gox
仮想通貨「Bitcoin」(ビットコイン)の通貨取引サービス。東京を拠点として2010年頃に立ち上げられた。ビットコインのいわゆる取引所としては最大手の一つとなった。2014年2月に突如サービスの閉鎖を表明した。
新語時事用語辞典とは?
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糖尿病黄斑浮腫
読み方:とうにょうびょうおうはんふしゅ
英語:diabetic macular edema
英語:diabetic macular oedema
英語:DME
糖尿病網膜症を原因として、網膜の黄斑の部分に水分が溜まり、腫脹が生じる症状のこと。糖尿病に伴う血糖増加により、網膜中の毛細血管が傷害を受けることが直接の原因となっている。糖尿病黄斑浮腫が起こると、視力低下や視界の歪み(変視症)などに繋がることがあり、特に長期間症状が持続した場合、視力の回復はしばしば困難になるとされる。
糖尿病黄斑浮腫の治療法としては、軽症の場合、水分が滲出している箇所をレーザーで凝固する処置(レーザー光凝固術)が行われるが、実施例が少ないことから治療効果は必ずしも明確でないとされ、視力改善には数年を要するとされる。また、手術で硝子体を取り除くことで、黄斑浮腫の消失および視力改善に著効があることが知られているが、患者の負担が大きく、血管新生緑内障や網膜剥離などを引き起こすこともある。
硝子体の除去後、ステロイド剤の一種、トリアムシノロンアセトニド(TA)を注射することもある。手術をせずにトリアムシノロンアセトニドの注射が行われることもあるが、テノン嚢下注射の場合、視力改善が見られる症例は30パーセントから60パーセント程度にとどまるとされている。
2014年2月にノバルティスファーマ社は、従来加齢黄斑変性症に対する治療薬として承認されてきたルセンティス(ラニビズマブ)の適応症を、糖尿病黄斑浮腫に拡大する承認を取得した。ルセンティスは網膜における血管の透過性を高める血管内皮増殖因子(VEGF)を阻害することにより、水分の滲出、ひいては浮腫の形成を防ぐ効果を持つ。
また、ルセンティスと同様の作用を示す薬剤に、やはり加齢黄斑変性症の治療薬として用いられてきた「VEGF Trap-Eye(アフリベルセプト硝子体内注射液)」があり、2014年2月現在、バイエルヘルスケア社およびリジェネロン社によって、糖尿病黄斑浮腫を対象とした第III相臨床試験が行われている。
関連サイト:
「ルセンティス®」、糖尿病黄斑浮腫の治療薬として効能追加の承認申請 - ノバルティスファーマ
英語:diabetic macular edema
英語:diabetic macular oedema
英語:DME
糖尿病網膜症を原因として、網膜の黄斑の部分に水分が溜まり、腫脹が生じる症状のこと。糖尿病に伴う血糖増加により、網膜中の毛細血管が傷害を受けることが直接の原因となっている。糖尿病黄斑浮腫が起こると、視力低下や視界の歪み(変視症)などに繋がることがあり、特に長期間症状が持続した場合、視力の回復はしばしば困難になるとされる。
糖尿病黄斑浮腫の治療法としては、軽症の場合、水分が滲出している箇所をレーザーで凝固する処置(レーザー光凝固術)が行われるが、実施例が少ないことから治療効果は必ずしも明確でないとされ、視力改善には数年を要するとされる。また、手術で硝子体を取り除くことで、黄斑浮腫の消失および視力改善に著効があることが知られているが、患者の負担が大きく、血管新生緑内障や網膜剥離などを引き起こすこともある。
硝子体の除去後、ステロイド剤の一種、トリアムシノロンアセトニド(TA)を注射することもある。手術をせずにトリアムシノロンアセトニドの注射が行われることもあるが、テノン嚢下注射の場合、視力改善が見られる症例は30パーセントから60パーセント程度にとどまるとされている。
2014年2月にノバルティスファーマ社は、従来加齢黄斑変性症に対する治療薬として承認されてきたルセンティス(ラニビズマブ)の適応症を、糖尿病黄斑浮腫に拡大する承認を取得した。ルセンティスは網膜における血管の透過性を高める血管内皮増殖因子(VEGF)を阻害することにより、水分の滲出、ひいては浮腫の形成を防ぐ効果を持つ。
また、ルセンティスと同様の作用を示す薬剤に、やはり加齢黄斑変性症の治療薬として用いられてきた「VEGF Trap-Eye(アフリベルセプト硝子体内注射液)」があり、2014年2月現在、バイエルヘルスケア社およびリジェネロン社によって、糖尿病黄斑浮腫を対象とした第III相臨床試験が行われている。
関連サイト:
「ルセンティス®」、糖尿病黄斑浮腫の治療薬として効能追加の承認申請 - ノバルティスファーマ
アンネの日記
読み方:アンネのにっき
別名:Het Achterhuis
英語:The Diary of a Young Girl
英語:The Diary of Anne Frank
ユダヤ人の少女、アンネ・フランクが、1942年から1944年にかけて執筆した日記を基にした文学作品。アンネ・フランク一家がナチス・ドイツによる迫害を逃れ、亡命先のオランダのアムステルダムで潜伏生活を行う中で書かれた。アンネの日記は、第二次世界大戦終戦後の1947年に、アンネの父、オットー・フランクによって出版された。
アンネ・フランクは1942年6月12日から日記を書き続けていたが、1944年8月4日に、密告により秘密警察(ゲシュタポ)に逮捕され、日記はその時点で中断された。アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送され、そこでチフスにより死亡した。オットー・フランクは移送先のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で終戦まで生き延びたのち、アムステルダムで娘の日記を受け取り、翻訳・編集を行ったのちに出版を行った。
「アンネの日記」の初版は1947年に出版され、世界中で2500万部を超えるベストセラーとなった。アンネの日記は、ナチス・ドイツによる人種差別政策やホロコーストの様子を後世に伝える文学作品として、教科書などでしばしば取り上げられている。また、アンネの日記を基にした演劇や映画が数多く上演・上映された。
なお、オットー・フランクはアンネの日記の一部記述を削除しているが、のちに削除箇所が増補され、「完全版」と銘打って出版された。
別名:Het Achterhuis
英語:The Diary of a Young Girl
英語:The Diary of Anne Frank
ユダヤ人の少女、アンネ・フランクが、1942年から1944年にかけて執筆した日記を基にした文学作品。アンネ・フランク一家がナチス・ドイツによる迫害を逃れ、亡命先のオランダのアムステルダムで潜伏生活を行う中で書かれた。アンネの日記は、第二次世界大戦終戦後の1947年に、アンネの父、オットー・フランクによって出版された。
アンネ・フランクは1942年6月12日から日記を書き続けていたが、1944年8月4日に、密告により秘密警察(ゲシュタポ)に逮捕され、日記はその時点で中断された。アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所に移送され、そこでチフスにより死亡した。オットー・フランクは移送先のアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で終戦まで生き延びたのち、アムステルダムで娘の日記を受け取り、翻訳・編集を行ったのちに出版を行った。
「アンネの日記」の初版は1947年に出版され、世界中で2500万部を超えるベストセラーとなった。アンネの日記は、ナチス・ドイツによる人種差別政策やホロコーストの様子を後世に伝える文学作品として、教科書などでしばしば取り上げられている。また、アンネの日記を基にした演劇や映画が数多く上演・上映された。
なお、オットー・フランクはアンネの日記の一部記述を削除しているが、のちに削除箇所が増補され、「完全版」と銘打って出版された。
杉原千畝
読み方:すぎはらちうね
別名:センポ・スギハラ
別名:東洋のシンドラー
別名:日本のシンドラー
1900年生まれの日本の外交官。リトアニアの日本領事館に赴任していた第二次世界大戦当時、約6000人のユダヤ人難民の命を救ったことから、同じくユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーになぞらえ、「東洋のシンドラー(日本のシンドラー)」としても知られている。
杉原千畝は、学生時代から特にロシア語に堪能であり、1926年に書き上げた「ソヴィエト聯邦國民經濟大觀」は外務省に高く評価された。1933年にはソ連と北満州鉄道の譲渡交渉を行い、現在の価格で約4億円ともいわれる大幅な減額を行うことに成功した。
1939年に、杉原千畝はリトアニアのカウナスに開設された日本領事館の職員として赴任した。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が強まると、日本領事館には多数のユダヤ人がビザの発給を求めて訪れたが、当時は日独伊三国同盟の締結直前ということもあり、本国は杉原に対して、ユダヤ人に対するビザ発給に厳格な条件を設ける旨の訓令を言い渡した。しかし、杉原は人道的観点から、本国の命令に背いて独断でビザの発給を行い、多くの難民を亡命させた。この時、杉原が発行したビザは、「命のビザ」として言及されることもある。
戦後、杉原千畝は外務省を依頼退職し、その後は不遇の半生を過ごしたとする説もあるが、杉原に命を救われたユダヤ人の尽力もあり、戦中に行ったビザ発給が偉業として顧みられることとなった。杉原千畝は1985年に、日本人としては唯一、「諸国民の中の正義の人」に選ばれた。「諸国民の中の正義の人」は「ヤド・バシェム賞」ともいい、イスラエルの最高裁判所判事によって、ナチス・ドイツのホロコーストの中で、自らの危険を顧みずにユダヤ人を匿った人々に与えられる称号である。また、2000年に河野洋平外務大臣は、正式に杉原千畝の名誉回復を行った。
別名:センポ・スギハラ
別名:東洋のシンドラー
別名:日本のシンドラー
1900年生まれの日本の外交官。リトアニアの日本領事館に赴任していた第二次世界大戦当時、約6000人のユダヤ人難民の命を救ったことから、同じくユダヤ人を救ったオスカー・シンドラーになぞらえ、「東洋のシンドラー(日本のシンドラー)」としても知られている。
杉原千畝は、学生時代から特にロシア語に堪能であり、1926年に書き上げた「ソヴィエト聯邦國民經濟大觀」は外務省に高く評価された。1933年にはソ連と北満州鉄道の譲渡交渉を行い、現在の価格で約4億円ともいわれる大幅な減額を行うことに成功した。
1939年に、杉原千畝はリトアニアのカウナスに開設された日本領事館の職員として赴任した。ナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が強まると、日本領事館には多数のユダヤ人がビザの発給を求めて訪れたが、当時は日独伊三国同盟の締結直前ということもあり、本国は杉原に対して、ユダヤ人に対するビザ発給に厳格な条件を設ける旨の訓令を言い渡した。しかし、杉原は人道的観点から、本国の命令に背いて独断でビザの発給を行い、多くの難民を亡命させた。この時、杉原が発行したビザは、「命のビザ」として言及されることもある。
戦後、杉原千畝は外務省を依頼退職し、その後は不遇の半生を過ごしたとする説もあるが、杉原に命を救われたユダヤ人の尽力もあり、戦中に行ったビザ発給が偉業として顧みられることとなった。杉原千畝は1985年に、日本人としては唯一、「諸国民の中の正義の人」に選ばれた。「諸国民の中の正義の人」は「ヤド・バシェム賞」ともいい、イスラエルの最高裁判所判事によって、ナチス・ドイツのホロコーストの中で、自らの危険を顧みずにユダヤ人を匿った人々に与えられる称号である。また、2000年に河野洋平外務大臣は、正式に杉原千畝の名誉回復を行った。
吸入ステロイド薬
読み方:きゅうにゅうステロイドやく
別名:吸入ステロイド
別名:吸入ステロイド剤
英語:inhaled steroids
英語:ICS
吸入により服用されるステロイド薬(ステロイド系抗炎症薬)のこと。喘息の治療に用いられる。
ステロイド薬は、抗炎症作用を持つ薬剤である。1960年代に、喘息の基本病態が気道の慢性炎症であることが周知されると、1970年代初めから、吸入ステロイド薬を用いた治療が行われるようになった。
日本では、他の先進国と比べると吸入ステロイド薬はあまり用いられてこなかったが、1978年にベクロメタゾンが、1998年にフルチカゾンが発売され、2000年代になるとさらに多くの吸入ステロイド薬が用いられるようになった。吸入ステロイド薬は当初、投与の困難さから普及が遅れたが、ドライパウダー吸入器(DPI)や、定量噴霧式吸入器(MDI)などの吸入方法の発達によって、日常臨床で広く採用されるようになり、スペーサーなどの補助器具を用いることで、乳幼児に対する投与も行えるようになった。
吸入ステロイド薬は、摂取量が経口ステロイドの1000分の1から100分の1とごく少量であり、作用が局所的であることから、経口ステロイド薬よりも副作用が少ないことが利点とされてきた。しかし、薬剤が口腔に留まることによる口腔カンジダ症などの副作用や、全身への薬剤の吸収を防ぐために、吸入後はうがいをすることが必須とされている。
ステロイド剤には成長を阻害する作用があることが知られているが、従来は吸入ステロイド薬で成長阻害が起こることはないか、あっても一時的な阻害に留まるとされてきた。しかし、海外で成長阻害の報告があったことから、2014年2月に日本小児アレルギー学会は、ステロイド薬の使用にあたって注意喚起を行うとともに、乳幼児で軽症の場合には、ステロイド薬以外の薬剤を第一選択薬とするべきという方針を示した。
関連サイト:
喘息死ゼロ作戦の実行に関する指針 - 厚生労働省
別名:吸入ステロイド
別名:吸入ステロイド剤
英語:inhaled steroids
英語:ICS
吸入により服用されるステロイド薬(ステロイド系抗炎症薬)のこと。喘息の治療に用いられる。
ステロイド薬は、抗炎症作用を持つ薬剤である。1960年代に、喘息の基本病態が気道の慢性炎症であることが周知されると、1970年代初めから、吸入ステロイド薬を用いた治療が行われるようになった。
日本では、他の先進国と比べると吸入ステロイド薬はあまり用いられてこなかったが、1978年にベクロメタゾンが、1998年にフルチカゾンが発売され、2000年代になるとさらに多くの吸入ステロイド薬が用いられるようになった。吸入ステロイド薬は当初、投与の困難さから普及が遅れたが、ドライパウダー吸入器(DPI)や、定量噴霧式吸入器(MDI)などの吸入方法の発達によって、日常臨床で広く採用されるようになり、スペーサーなどの補助器具を用いることで、乳幼児に対する投与も行えるようになった。
吸入ステロイド薬は、摂取量が経口ステロイドの1000分の1から100分の1とごく少量であり、作用が局所的であることから、経口ステロイド薬よりも副作用が少ないことが利点とされてきた。しかし、薬剤が口腔に留まることによる口腔カンジダ症などの副作用や、全身への薬剤の吸収を防ぐために、吸入後はうがいをすることが必須とされている。
ステロイド剤には成長を阻害する作用があることが知られているが、従来は吸入ステロイド薬で成長阻害が起こることはないか、あっても一時的な阻害に留まるとされてきた。しかし、海外で成長阻害の報告があったことから、2014年2月に日本小児アレルギー学会は、ステロイド薬の使用にあたって注意喚起を行うとともに、乳幼児で軽症の場合には、ステロイド薬以外の薬剤を第一選択薬とするべきという方針を示した。
関連サイト:
喘息死ゼロ作戦の実行に関する指針 - 厚生労働省
efWING
読み方:イーエフウィング
川崎重工業株式会社が2013年に発表した鉄道車両台車。「efWING」は、「enviromentally friendly Weight-Saving Innovative New Generation Truck」の略と説明されている。
efWINGでは、世界で初めて、台車フレームの素材にCFRP(炭素繊維強化プラスチック)が採用されている。CFRPが採用された結果、台車フレームの重量が従来比で40パーセント減少し、台車全体の重量も450キログラム軽量化された。軽量化により、走行燃費が向上し、省エネ効果がもたらされるとされている。
また、CFRP製フレームに、従来は軸バネ(コイルバネ)が担っていたサスペンションの機能を付与したことにより、各車輪がレールに与える圧力が安定し、脱線の原因となりうる輪重抜けが起こりにくくなったとされる。また、安定性が高まることから、乗り心地も従来品より向上したとされる。
efWINGは感性工学に基づき設計されており、黒と赤を組み合わせた印象的な配色が採用されている。efWINGは、2013年度のグッドデザイン賞金賞(経済産業大臣賞)を受賞した。
川崎重工業は、efWINGを「次世代の台車」として位置づけ、今後国内外での販売に重点を置いていく方針を示した。
関連サイト:
世界初、サスペンション機能を持つCFRPフレームを採用した次世代の鉄道車両台車「efWING」を開発 - 川崎重工
川崎重工業株式会社が2013年に発表した鉄道車両台車。「efWING」は、「enviromentally friendly Weight-Saving Innovative New Generation Truck」の略と説明されている。
efWINGでは、世界で初めて、台車フレームの素材にCFRP(炭素繊維強化プラスチック)が採用されている。CFRPが採用された結果、台車フレームの重量が従来比で40パーセント減少し、台車全体の重量も450キログラム軽量化された。軽量化により、走行燃費が向上し、省エネ効果がもたらされるとされている。
また、CFRP製フレームに、従来は軸バネ(コイルバネ)が担っていたサスペンションの機能を付与したことにより、各車輪がレールに与える圧力が安定し、脱線の原因となりうる輪重抜けが起こりにくくなったとされる。また、安定性が高まることから、乗り心地も従来品より向上したとされる。
efWINGは感性工学に基づき設計されており、黒と赤を組み合わせた印象的な配色が採用されている。efWINGは、2013年度のグッドデザイン賞金賞(経済産業大臣賞)を受賞した。
川崎重工業は、efWINGを「次世代の台車」として位置づけ、今後国内外での販売に重点を置いていく方針を示した。
関連サイト:
世界初、サスペンション機能を持つCFRPフレームを採用した次世代の鉄道車両台車「efWING」を開発 - 川崎重工