新語時事用語辞典とは?

2014年3月4日火曜日

JASDAQ-TOP20

読み方:ジャスダックトップトゥエンティ

東京証券取引所(東証)のJASDAQ市場に上場している株式のうち、比較的流動性が高く、時価総額の多い20銘柄の株価指数。株価平均型株価指数により算出される。

JASDAQ-TOP20の値動きは、同じ市場を対象とするジャスダックインデックスと似たように推移する。

2014年3月現在、クルーズやインフォコム、日本マイクロニクス、ガンホー・オンライン・エンターテイメント、デジタルガレージなどがJASDAQ-TOP20の構成銘柄となっている。

関連サイト:
株価指数リアルタイムグラフ - JASDAQ-TOP20 - 東京証券取引所(東証)

トゥルーレンジ

英語:true range

前日の株価終値と、当日の株価との最大の差。値動きの激しさを計るテクニカル指標で用いられる。

トゥルーレンジは、当日の高値と前日の安値との差、あるいは、当日の安値と前日の終値の差、そして、当日の高値と当日の安値の差の、絶対値が最も大きい数である。

トゥルーレンジの値が大きい場合には値動きの激しいことを表し、小さい場合には値動きがあまり激しくないことを表す。

トゥルーレンジを用いたテクニカル指標には、ボラティリティやATR(アベレージトゥルーレンジ)などが挙げられる。

クリミア戦争

読み方:クリミアせんそう
読み方:クリム戦争
英語:Crimean War

19世紀半ば、クリミア半島などを主戦場として行われた、トルコ(オスマン帝国)・イギリス・フランス・サルディニアの連合軍と帝政ロシアとの戦争。激戦で知られる。セヴァストポリの戦いで露軍の陥落、ロシアの敗北をもって決着した。

クリミア戦争は、極めて大雑把に言ってしまえば、不凍港の獲得と版図の拡大を目指し南進するロシアと、衰退しつつあった巨大帝国オスマン・トルコとの激突であった。ロシアの拡大・強化を阻止したいイギリスやフランスがトルコ側について連合軍を結成した。戦場はクリミア半島を中心に黒海北岸などにも及んだ。

クリミア戦争はやがてロシア軍の主力艦隊である「黒海艦隊」の拠点がある要塞都市セヴァストポリに集中した。攻防戦は長期にわたり、両軍におびただしい死者が出た。死者の数は両軍各10万を超え、総勢20万人が命を落としたとも言われている。他方、ナイチンゲールが戦地で看護にあたり衛生状況の劇的改善と負傷者の死亡率を大幅引き下げを実現し、後世の看護の在り方に影響を与えた。

クリミア半島は18世紀後半の時点でロシア帝国領となっており、クリミア戦争の発生時も、その終結後も、ロシア帝国領であった。ソビエト連邦の成立後はソ連領となった。半島の要衝セヴァストポリは第二次世界大戦における独ソ戦の戦場にもなっている。

GPIF

別名:年金積立金管理運用独立行政法人
別名:年金積立金管理運用法人
別名:年金管理運用法人
英語:Government Pension Investment Fund

年金積立金の管理及び運用を行う独立行政法人。年金資金運用基金が改組する形で2006年に設立された。年金積立金管理運用独立行政法人法などを根拠とする。

GPIFこと年金積立金管理運用独立行政法人は年金積立金の管理・運用に特化した組織である。厚生労働大臣から託された積立金の管理・運用、それによって得た収益の国庫納付を通じて、年金事業の安定した運営を図る。

年金積立金運用の資産構成割合は、比較的安全とされる国内債券で約7割を占めるとされる。残る3割は外国債券、国内株式、外国株式、短期資産などに投資されているという。

GPIFは2001年に、年金資金運用基金として、それまでの年金資金運用事業を引き継ぎつつ、今日の「託された年金資金を運用する」事業を開始した。2006年に一個の機関として設立された。

2014年2月28日に、2013年度第3四半期の運用状況が公表された。円安などの影響もあり、同期の収益額はプラス5兆7000億円に上ったという。

関連サイト:
年金積立金管理運用独立行政法人
年金積立金管理運用独立行政法人法 - e-Gov
厚生年金、国民年金の積立金運用 - 厚生労働省

シンフェロポリ

別名:シンフェローポリ
別名:スュンフェロポリ
別名:Сімферополь
英語:Simferopol

ウクライナのクリミア自治共和国の首都。産業が盛んで交通も発達している。

シンフェロポリはクリミア半島の中央やや南よりに位置する。半島の南端にはセヴァストポリがある。セヴァストポリはクリミア自治共和国は属さず、キエフと共にウクライナの特別市に指定されている。

ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ

別名:ヴィークトル・フェードロヴィチ・ヤヌコーヴィチ
別名:ヴィクトル・ヤヌコヴィッチ
別名:ヴィクトル・ヤヌコビッチ
別名:ヴィークトル・ヤヌコーヴィチ
別名:ヴィークトル・ヤヌコヴィッチ
別名:ヴィークトル・ヤヌコビッチ
別名:ヤヌコビッチ
別名:ヤヌコヴィッチ
別名:ヤヌコーヴィチ
別名:ヤヌコビッチ大統領
別名:ヤヌコヴィッチ大統領
別名:ヤヌコーヴィチ大統領
別名:ヤヌコーヴィッチ
別名:ヤヌコヴィッチ
別名:ヤヌコビッチ
別名:ヤヌコービッチ
別名:Віктор Янукович
別名:Віктор Федорович Янукович
英語:Viktor Yanukovych
英語:Viktor F. Yanukovych
英語:Viktor Fedorovych Yanukovych

ウクライナの第4代大統領。および、第9代・第12代首相。所属政党は地域党。親露派として知られる。「オレンジ革命」における大統領選の逆転負け、次期大統領選におけるユーリヤ・ティモシェンコへの勝利、および、「ユーロマイダン」における政変(事実上の政権崩壊)などに関わる。

ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ1950年にウクライナ東部のドネツク州で生まれた。工学と国際法を修め、いくつかの企業・公社の社長を歴任した。1990年代半ばに政界入りし、ドネツク州議会で議員、副知事、知事を務める。2002年にウクライナ第9代首相に就任した。

2004年には第3代大統領候補として選挙に立候補し、同じく首相経験者であるヴィクトル・ユシチェンコと対決した。開票結果はヤヌコーヴィチが僅差で上回ったが、これを不正がはたらいた結果であるとして糾弾する大規模な抗議活動が起こり、裁判の末に選挙をやり直すこととなった。再選挙の結果、ユシチェンコが逆転勝利を収め、ヤヌコーヴィチは落選を喫した。

2010年に行われた大統領選でヤヌコーヴィチは再び立候補し、決選投票でユーリヤ・ティモシェンコと対決した。結果ヤヌコーヴィチが勝利し、第4代大統領に就任した。

2013年半ば、EUとの関係強化に否定的な動きを見せるヴィクトル・ヤヌコーヴィチに対し野党および民衆からの反発が激化し、デモ隊と治安部隊の衝突が起こるようになった。デモの拠点となった独立広場は、この頃ユーロマイダン(欧州広場)の名で呼ばれるようになった。2014年2月に大規模な衝突が起こり数十の死傷者を出す事態に発展、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチと側近の高官らが首都を離れ、野党が議会を掌握、ウクライナ暫定政府を立てるに至った。

アレクサンドル・トゥルチノフ

別名:トゥルチノフ
別名:オクサンドル・トゥルチノフ
別名:トゥルチノフ大統領代行
英語:Oleksandr Turchynov
英語:Oleksandr Valentynovych Turchynov

ウクライナの政治家。実業家を経て政界入りし、連合野党・祖国に所属。2014年2月にヤヌコーヴィチ政権が事実上崩壊した跡を継ぎ、議会議長および大統領代行に就任した、

ユーロマイダン

別名:欧州広場
別名:ユーロ広場
別名:独立広場
英語:Euromaidan

ウクライナの首都キエフの中央部に位置する広場。2013年から2014年初頭にかけて加熱した反政府活動の中心地であり、同活動を象徴するキーワードにもなっている。大規模な反政府デモを指す場合も多い。

ユーロマイダンは、かつて「独立広場」と呼ばれた。独立広場は2004年のオレンジ革命をはじめ、しばしばウクライナにおける市民運動の中心地となっている。

2013年半ば、ウクライナ第4代大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチの政治に不満を抱く市民が同広場へ集結し、ヤヌコーヴィチの退陣を訴えるデモ活動が活発化した。直接のきっかけは、ウクライナの欧州連合(EU)加盟に向けた連合協定の動きを、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が締結目前で凍結したことだとされている。ヤヌコーヴィチは親露派として知られており、協定凍結はロシアからの圧力を受けたのではとする見方もある。ユーロマイダンのデモ参加者は、EU加盟や大統領の辞任などを訴えてキエフの独立広場など各地に集結した。その数は多い時にはキエフ市内だけでも数十万人規模に達したとされる。2013年暮れ頃からこの抗議運動はしばしばユーロマイダンの名と共に報じられるようになったという。

ユーロマイダンは当初は平和的活動として行われたが、政府がデモ参加者への処罰や、「デモ規制強化法」の可決などの強硬な対応を見せたことで、徐々に熱を帯びていった。デモ隊の一部が過激化し、司法省や各都市の市庁舎を占拠した。治安部隊がデモ隊の鎮圧に乗り出して衝突するようになり、2014年1月にはデモ隊側に初の死者が出た。翌2月18日には火器も使用され、警官も含めて数十名の死傷者、千人規模の負傷者を出す大規模な衝突が起こった。

2014年1月に、政府は野党に対して、野党指導者を首相に任命することなどを含む妥協案を示したが、野党は妥協案が不十分だとする意向を発表していた。

2014年2月の衝突を契機にヤヌコーヴィチ政権の高官は相次いで国外へ脱出、その間に野党勢力に政権を奪取され、ヤヌコーヴィチ政権は事実上の崩壊を迎えた。2014年5月に実施される大統領選までの間は暫定政府を立てると発表され、アルセニー・ヤツェニュクが暫定首相に就任した。

関連サイト:
「私は死にかかっている」、ウクライナのデモ支援者がツイート - AFPBBニュース 2014年2月21日