新語時事用語辞典とは?

2014年3月18日火曜日

クリミア自治共和国

読み方:クリミアじちきょうわこく
別名:Автономна Республіка Крим
別名:Автономная Республика Крым
別名:Qırım Muhtar Cumhuriyeti
英語:Autonomous Republic of Crimea

ウクライナの一部を構成する自治共和国。首都はシンフェロポリである。ロシアの租借地であるセヴァストポリ特別市を除く、クリミア半島のほぼ全域を領土とする。

2001年の国勢調査では、クリミア自治共和国には約118万人のロシア人、約49万人のウクライナ人、約24万人のクリミア・タタール人の居住が確認された。すなわち、クリミア自治共和国の民族構成の過半数をロシア人が占めており、その数はウクライナ人の2倍以上にも及んでいる。クリミア・タタール人はクリミア半島において、ロシア帝国併合以前に多数を占めていた民族であるが、その後ロシア領の時代が長く続いた結果、人口は全体の1割程度となり、影響力は限定的なものにとどまっている。

現在のクリミア自治共和国の領土は、1991年以前はソ連に属していた。ソ連解体後、クリミア半島では独立運動が盛んになり、翌1992年にはクリミア共和国として独立宣言が行われた。しかし、この独立宣言はウクライナの反発を受け、クリミア共和国議会は独立宣言の3か月後には、クリミア共和国がウクライナの一部に属することを認める形となった。その後の1995年に、現行憲法の成立とともに、正式にクリミア自治共和国と改称されている。クリミア自治共和国の独立運動は、ロシアの後ろ盾を得られなかったことからやがて衰えを見せたが、2009年には独立を求める反ウクライナデモが行われるなど、完全には終息してなかった。

2014年に、前年から継続していた反政府デモ(ユーロマイダン)などの影響により、ウクライナで親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊すると、ウクライナとロシアの対立の構図が明確になった。それとともに、ロシア人住民が多数を占めるクリミア自治共和国において、再び独立の機運が高まることとなった。クリミア自治共和国は、大統領の座を追われたヤヌコーヴィチの重要な支持基盤であり、ヤヌコーヴィチがクリミア自治共和国領に逃亡したとも報じられた。クリミア自治共和国議会や軍隊の一部は、ウクライナの新政権への従属を拒否し、むしろロシアに忠誠を誓う態度を示した。

2014年2月に、ロシアはロシア人住民の保護を名目として、クリミア自治共和国領に派兵を行い、空港や主要な建物などの占拠を行った。3月にはクリミア自治共和国議会がロシアへの編入の是非を問う国民投票を実施、9割を超える賛成表を得て、ウクライナからの独立を宣言した。

クリミア独立宣言に対し、ウクライナ暫定政権は宣言は無効と主張している。EUや、大半の国も反対もしくは懸念を表明している。ロシアは独立宣言への支持を表明している。

セヴァストポリ

別名:セヴァストーポリ
別名:セバストポリ
別名:セバストーポリ
別名:セヴァストポリ市
別名:セヴァストーポリ市
別名:セバストポリ市
別名:セバストーポリ市
別名:セヴァストポリ特別市
別名:セヴァストーポリ特別市
別名:セバストポリ特別市
別名:セバストーポリ特別市
別名:Севастополь
英語:Sevastopol
英語:Sevastopol'
英語:Sebastopol
英語:Sebastopol'

クリミア半島南西端に位置し、黒海に面するウクライナの港湾都市。クリミア半島最大の都市であり、首都キエフとともに「特別市」とされている。クリミア半島のほぼ全域はクリミア自治共和国の領土となっているが、セヴァストポリ特別市の区域はクリミア自治共和国に含まれていない。

セヴァストポリは、黒海およびアゾフ海の制海権に関わる地政学上、軍事上の要衝であり、クリミア戦争、第二次世界大戦では激戦地となった(セヴァストポリの戦い)。戦後も軍港都市としての性格が強く、閉鎖都市として旅行が制限された時代もあったが、のちに観光都市やリゾート地としても知られるようになった。また、イルカを中心とした海洋生物学の研究拠点としても知られており、イルカ水族館が観光名所となっている。

セヴァストポリは帝政ロシアの時代から現在に至るまで、ロシアの黒海艦隊の重要な拠点となっている。1991年のソ連解体に伴いウクライナが独立すると、セヴァストポリはウクライナの領土とされたが、両国間の交渉の結果、2017年までロシアが租借権を得て、黒海艦隊の母港として使用することとなった。その後、2010年に新たな協定が結ばれ、黒海艦隊の駐留期限は2045年に延長された。

セヴァストポリの帰属を巡っては、ソ連解体後、ウクライナとロシアの両国の間で争いがあった。セヴァストポリのロシア人住民の中には、セヴァストポリのクリミア自治共和国への編入およびロシア領土への編入、あるいはセヴァストポリ市民のロシア国籍取得を求める意見が多いとされる。1997年に結ばれた条約で、ロシア側の領土主張は取り下げられたが、依然として多数のセヴァストポリ市民が独立を望んでいるとされる。

2014年3月、クリミア自治共和国とセヴァストポリにおいて、ロシア編入の是非と問う国民投票が実施された。結果、有効票の9割を超える賛成票を得て、クリミア自治共和国議会はクリミア独立宣言を採択、自治共和国とセヴァストポリのウクライナからの独立、およびロシアへの編入に向かうと宣言した。

クリミア独立宣言

読み方:クリミアどくりつせんげん
別名:クリミア共和国独立宣言

2014年3月にウクライナのクリミア自治共和国議会が表明した、ウクライナから独立するという宣言。クリミア自治共和国およびセヴァストポリ特別市を「クリミア共和国」として独立した上で、ロシアへの編入を図るというもの。3月半ばに行われた国民投票の支持を受けて採択された。

ウクライナでは2013年半ばから「ユーロマイダン」と呼ばれる反政府デモ活動が展開されていた。2014年2月に大規模な衝突に発展し、第4代大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチは政治機能を失い首都から離脱、その間に野党が政権を掌握し暫定政府を築いた。

ヤヌコーヴィチは親ロシア派として知られる。2013年当時目前まで進めていたウクライナのEU編入の取り組みをヤヌコーヴィチが破棄したことから、政権打倒の機運が一気に高まったとされる。代わって政権を掌握した野党政権は親EU派とされる。

ヤヌコーヴィチ政権の崩壊と並行してロシアはクリミア半島へ軍事派遣を実施、事実上クリミア半島を掌握した。クリミア自治共和国議会はロシアへの編入の是非を問う国民投票の実施を発表し、10日ほど後に投票を実施した。投票率は8割を超え、有効票の9割6分は編入に賛成した。

ウクライナ暫定政権の議会議長および大統領代行を務めるトゥルチノフは、クリミア独立宣言は無効とした。他方、ロシアのプーチン大統領はクリミア共和国を独立国として承認する構えを見せた。


なぜクリミア半島がロシアへの編入を望み、またロシアもクリミア半島の編入を望むか、その理由としては、クリミア戦争を含む歴史的経緯をもって解説されることが多い。住民もロシア系の移民が多い。

関連サイト:
世界の扉 「住民投票前に緊張高まるクリミア」 - NHK解説委員室 解説アーカイブス