新語時事用語辞典とは?

2014年8月1日金曜日

クラフトビール

別名:地ビール
英語:craft beer

小規模な醸造所で製造されている(マスプロダクトでない)ビール。あるいは、少量生産で特徴的な製法スタイルを採用したビール。

クラフトビールの定義は確立しているわけではないが、おおむね、全国市場ではなく地域に根ざした製造・販売活動を行っており、地域や店舗の固有ブランドとして認知されているビールを指すことが多い。この意味では、クラフトビールはいわゆる「地ビール」とほぼ同義といえる。

「日本ビアジャーナリスト協会」ウェブサイトでは、米国の醸造家協会(Brewers Association)によるクラフトビールの定義を紹介している。米国においてクラフトビールは小規模であること、加えて独立性と伝統の要素が求められるという。

クラフトビールの多くは、大手ブランドのビールのような万人向けの味わいよりも、ホワイトビールやピルスナーといった特徴的な製法を採用して独自の味わいを追求する向きが強い。

大手ビール会社のキリンは204年7月に、小規模醸造所を立ち上げクラフトビール事業に参入、「より深いビールの世界、無限のおいしさの可能性を提案」すると発表している。

関連サイト:
クラフトビールの定義。クラフトビールとは? - 日本ビアジャーナリスト協会
「SPRING VALLEY BREWERY(スプリングバレーブルワリー)」プロジェクト始動 - キリンビール株式会社

日本維新の会

読み方:にっぽんいしんのかい
英語:Japan Restoration Party

橋下徹が結成した地域政党「大阪維新の会」を母体として立ち上げられた国政政党、および、同政党を前身として結成された政党の名称。

2012年9月に橋下徹・第19代大阪市長が、新たな国政政党の立ち上げ(結党)、および、新党の名称を「日本維新の会」とすること、を正式に発表した。

日本維新の会は、大阪維新の会で練られた「維新八策」を綱領とする。国政の改革を通じて「大阪都構想」をはじめとする維新の遂行を目指すと表明している。

2013年に石原慎太郎および同氏の率いる「太陽の党」が日本維新の会に合流した。太陽の党が解党して日本維新の会に入り、橋下徹と石原慎太郎が共同代表に位置する形が取られた。2014年春に日本維新の会と新党「結いの党」の合流の是非を巡り党内で見解が別れ、石原慎太郎が党を離脱した。「日本維新の会」の名称は橋下徹の側に継がれた。橋下徹はいったん「日本維新の会」を解党し、あらたに政党を発足、その新党の名称を再び「日本維新の会」とする方針を表明した。

日本維新の会ならびに結いの党は、2014年9月に正式に合流することを決定し、名称を新たに「維新の党」とするとした。

関連サイト:
大阪維新の会

維新分党

読み方:いしんぶんとう
別名:維新の会分党
別名:日本維新の会の分党

政党「日本維新の会」の分党・政党分割を指す語。新聞・ニュースの見出しで動向が報じられる際などに用いられた。

日本維新の会は2013年より石原慎太郎、橋下徹の両名を共同代表としていたが、2014年春に「結いの党」との合流の是非を巡って意見が対立、2014年5月29日に政党を分かつことが正式決定した。各報道メディアが一連の流れを「維新分党」のような見出しを掲げて報じている。

石原新党

読み方:いしはらしんとう
別名:石原慎太郎新党
別名:石原グループ

石原慎太郎が中心となって結成される政党の暫定的な通称。2012年、2014年、と、新党立ち上げの見通しが報じられた際に用いられている。党名が正式に公表されると石原新党に替わり正式党名で呼ばれる。具体的には「太陽の党」「次世代の党」などとなった。

石原慎太郎知事は1999年より10余年にわたり東京都知事を務めてきたが、2012年10月に辞職、12月に行われる第46回衆議院議員総選挙で国政復帰を目指す意向を表明した。出馬にあたり新党を立ち上げることも表明され、これが党名未決定の段階において「石原新党」と呼ばれた。この党は「たちあがれ日本」を母体として再結成する形で「太陽の党」となった。さらに数日のうちに解党され「日本維新の会」と合流している。

日本維新の会は、橋下徹と石原慎太郎を共同代表とする二頭体制で、2013年から2014年前半まで運営されてきた。2014年春に「結いの党」との合流の是非を巡る意見対立が報じられ、ほどなくして石原慎太郎が日本維新の会から離脱、分党する方針が決定された。石原慎太郎は新たに政党を設ける意向を表明している。「日本維新の会」の名称は、橋下徹の側が継承することが決定しており、ここでも暫定的に「石原新党」の呼称が用いられた。

日本維新の会からの離脱後に結成された石原新党は、2014年7月末に正式に結党し、党名を「次世代の党」とした。