新語時事用語辞典とは?

2020年4月14日火曜日

マリアージュ

マリアージュとは、マリアージュの意味

マリアージュ(mariage)とは、フランス語で結婚を意味する語。英語ではマリッジ(marriage)という。マリアージュの語は、日本においては結婚の意味で用いられることは少なく、多くは「料理と料理との相性がよい場合」「料理とワインとの相性がよい場合」の表現の手段の1つとして用いられる。料理の中でもとりわけフランス料理について用いられることが多い。

マリアージュの語の用例、使い方


  • 牛肉と赤ワインのマリアージュが口の中で芳醇な広がりを見せている
  • メイン料理とボルドー産の白ワインのマリアージュに興奮した
  • エスカルゴと白ワインのマリアージュをお楽しみください


料理とソースのマリアージュ

マリアージュの語は、料理とワインの組み合わせの他に、料理とソースの組み合わせでも用いられる。例えば、「鴨肉とオレンジソースのマリアージュ」のように用いる。また、相性がよいと思った時に「マリアージュした」と表現することもある。

前後の料理のマリアージュ

前後の料理で相性のよい組み合わせをマリアージュという。例えば、「ムール貝のワイン蒸しと牛肉の赤ワイン煮込みのマリアージュ」のように用いる。


マン汁

マン汁は、女性の膣内で分泌される体液を指す卑俗な表現。「まん汁」とも表記される。公的・学術的な文脈では「膣分泌液」と呼ばれ、通俗的には「愛液」と呼ばれることが多い。「マン汁」は、露骨かつきわめて卑俗な部類の語彙であり、もっぱらポルノに該当するコンテンツか、あるいは、それに類する猥雑な文脈に限って用いられる表現といえる。公の場での言明は憚られる。

マン汁という言葉の構成は、女性器を意味する卑語の省略(頭2文字)に、単に液体くらいの意味であろう「汁」を組み合わせたものと推察される。なお「がまん汁」とは響きが似ているが言葉の成り立ち上は直接的な関係はない。

マン汁すなわち膣分泌液は、膣内部における分泌液の総称である。膣壁の粘膜を保護し、老廃物などの排出を助け、性交の際には男性器の受け入れを助ける(潤滑剤として機能する)等、女性の生理上たいへん重要な役割を果たしている。なお膣外へ排出された老廃物や膣分泌液の混合物は一般的に「おりもの」と呼ばれる。

「マン汁」という語彙は特に「性交の際に挿入を受け入れやすくする」役割を果たすものとして言及される。この文脈では、膣口にある腺から分泌されるバルトリン腺液なども含めて「マン汁」あるいは「愛液」と呼ばれていることが多い。バルトリン腺液なども含めたマン汁は性的興奮の高まりと共に分泌量を増す。外性器の愛撫などの直接的刺激に限らず、淫らな妄想のような精神的興奮によっても分泌が促される。その分泌量は、個人によっても年齢や状況などによっても差がある。

女性の膣分泌液(いわゆるマン汁)や男性の精液およびカウパー腺液などの「性的刺激・興奮に伴い分泌される体液」を総称して「性液」と呼ぶことがある。

啓蒙

読み方:けいもう
英語:enlightenment

啓蒙の意味、啓蒙とは

啓蒙とは、知らない人を教え導くという意味。啓は教え導くという意味の漢字で、蒙は道理にくらい人、道理を分かっていない人という意味の漢字である。古くは後進的な知識しか持たない人々に先進的な知識を教え広めるという意味に使用された。啓蒙の語は例えば、迷信を信じている人々に科学的な知識を教えて広めるといった意味、文明人が非文明人に物の道理を教えるといった意味に使った。一般大衆を特権階層の人が指導するといった色合いを込めて使われた時代もあった。

啓蒙の語は現代では、ある分野において余り知識のない人に対して、その分野の専門家が画期的な方法を指導するといった意味で使用することが多い。公衆衛生や教育などの社会活動、工場や現場の管理方法などの産業活動などあらゆる面に使用される。啓蒙をする活動のことを啓蒙活動という。医師組織の病気に関する正しい知識を普及する活動や臓器移植のドナー登録に関する知識を拡げようとする活動などがこれに当たる。

啓蒙思想

啓蒙思想は、啓蒙主義思想とも呼ばれる歴史的な思潮のことである。17世紀末ごろから18世紀にヨーロッパ全域で広がりを見せた。それまでの価値観は聖書や神学によって築かれたものであり、教会や絶対君主が政治的にも経済的にも権威を握っていた。現代的な感覚からみれば非常に理不尽な政治も行われ、法的な裏付けや人権意識もないまま一般市民が圧政に耐えることも少なくなかった。啓蒙思想はこのような宗教的かつ封建的な考え方から離れて、理性や科学によって理論的に物事を考えて社会を構築しようという考え方である。

啓蒙思想の例として、スコットランドのジョン・ロックによる「市民政府二論」が挙げられる。市民政府二論は、民主政治の在り方を示したもので、この考え方はフランスにも伝搬しモンテスキューやルソーに引き継がれた。モンテスキューは、著書「法の精神」で三権分立を説いた。また、ルソーは「社会契約論」で国の主権は人民にあるべきだと主張した。これらの考え方が、市民にも広く賛同されることとなり、やがてはイギリスにおいては名誉革命、フランスにおいてはフランス革命へとつながっていった。

経済論において啓蒙思想の影響を受け、なおかつ画期的な論理を展開したのは「国富論」を記したアダム・スミスである。「国富論」は近代経済学の最も最初に論じられた論文であり、自由主義経済学の始まりになったものである。啓蒙主義は芸術にも影響を与えている。音楽家で啓蒙主義の影響を受けたのがラモーやバッハ、メンデルスゾーンなどである。

啓蒙専制君主

啓蒙専制君主とは、啓蒙主義の影響を受けた君主のことである。元は封建主義的な絶対君主であったものが啓蒙思想の影響を受けて人権意識や科学的な思想、法律の整備などをして開放的な政治を行った。啓蒙専制君主は君主も国の一機関であり、国の治世は法律に基づくものであると規定する。一方で君主の権力はあくまでも絶対的なものであり最終的な政治決断は君主にゆだねられるものとするなど、大きな矛盾をはらんだ政治制度であった。また、人権意識も未熟なもので民衆の権利は君子から与えられたものであるとした。そのため公平性に大きな問題を残していた。このような政権を布いた国王としてはプロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアのヨーゼフ2世などが知られている。これらの啓蒙専制君主が啓蒙思想に傾倒した要因の一つが科学的な進歩による経済発展である。専制君主たちは専制的な体質と啓蒙思想を折衷した政治論理を作ることで国を経済的に豊かにしようと考えたのである。

日本の啓蒙思想家

日本における啓蒙思想家としては、明治時代の福沢諭吉や西周、加藤弘之がいる。福沢諭吉は思想家であり教育者で、西周もまた哲学者であり教育者である。加藤弘之は政治学者であり、同じく政治学者では天皇機関説で有名な美濃部達吉がいる。