新語時事用語辞典とは?

2020年7月20日月曜日

人を呪わば穴二つ

読み方:ひとをのろわばあなふたつ
別名:人を呪わば穴2つ

人を呪わば穴二つの意味

人を呪わば穴二つとは、人を呪い殺そうとして墓穴をほれば自分の墓穴も必要となるという意味のこと。英語表現では people who live in glass houses shouldn't throw stones(ガラスの家に住む人は石を投げるべきではない)となる。

人を呪わば穴二つの由来は、人に手を出せば、仕返しで損害を受けるのは目に見えているので、理不尽な目にあわされても他人に手を出してはいけないという戒めからきている。「人を呪わば」は陰陽師の呪いを意味し、「穴二つ」は呪い返しを覚悟した陰陽師が自分の墓穴を用意したということが語源である。

人を呪わば穴二つは転じて、嫌な目にあわされてもやすやすと相手に手を出してはいけないという訓戒となっている。

人を呪わば穴二つの類語、対義語

類語には「悪因悪果」や「因果応報」がある。悪因悪果は悪いことをすれば悪い結果が返ってくるという意味だ。因果応報は自分の身の振り方がそのまま自分に返ってくるという言葉で、よい行いをすれば自分にもよいことが起こるという意味合いも持つ。対義語には「目には目を」と「肉を切らせて骨を断つ」がある。目には目をは、ハンムラビ法典の一節に由来する言葉で、他人から危害を加えられたら同じ危害を相手に加えるべきだと、復讐を推奨している。肉を切らせて骨を断つは、自分が傷つくことを恐れず相手により大きな痛手を与えにいくという、捨て身の攻撃を示す言葉である。

人を呪わば穴二つの例文、使い方


  • 仕返しなどやめなよ。人を呪わば穴二つって言うじゃないか。
  • あいつ、殴られた仕返しにSNSで相手の個人情報を晒したら、炎上してアカウントも凍結されたってよ。人を呪わば穴二つとは言ったもんだ。

怒りに燃える相手を押しとどめたり、仕返しに走って痛い目を見た相手を憐れむときに口にすることとなる。

馬耳東風

読み方:ばじとうふう

馬耳東風とは、馬耳東風の意味

馬耳東風とは、他人の意見や批評を気にかけないで聞き流すという意味のこと。中国の詩人である李白の書いた「答王十二寒夜独有懐」内の「世人之を聞けば皆頭を掉り東風の馬耳を射るが如き有り」が由来となり生まれた四字熟語である。馬の耳に念仏と似ているが、馬の耳に念仏は念仏の有り難さがわからないという意味なので、聞き流す馬耳東風とは異なる。英語表現では「talking to a wall」となる。

馬耳東風がなぜ他人の意見や批評を気にかけないで聞き流すという意味になるのかだが、馬の耳に心地いい春風が吹いても馬は何も感じないということから何を言われても全く気に留めないことを馬耳東風と表現することとなった。

馬耳東風の類語、対義語

馬耳東風の類語には牛に対して琴を弾いて聞かせても何も意味がないという「対牛弾琴」がある。馬耳東風の対義語は「呼牛呼馬」がある。相手が自分を牛と呼べば牛、馬と呼べば馬だと思うという意味で逆らわずに受け入れることを指している。

馬耳東風の例文や使い方

馬耳東風の例文としては「折角の有り難い講話も彼女にとっては馬耳東風に過ぎない」というような、誰かを評価するというような使い方が多い。また、聞く耳を持たない相手を叱る時に「せっかく先輩が親身になって話をしてくれたのに馬耳東風な態度は失礼だ」などといったような使い方もある。

我田引水

読み方:がでんいんすい

我田引水とは、我田引水の意味

我田引水とは、他人の事情などは考えず、自己中心的な言動をするという意味のこと。稲作の命である水は、本来近隣の皆で分け合うものだが、自分の田んぼにばかり水を引き込もうとする者を例えたのが由来である。英語ならば「self-centered(自己中心)」となるし、漢文であれば「自私」というまさに自分が!自分が!という表現となる。

我田引水の語の類語

我田引水の語は、同じ日本語でも分かりやすい類語である「利己主義」「我儘」という言葉に置き換えられる。しかしそれらの直接的な言葉と比べると、「我田引水」は、ズバリとは言いにくいことも、やんわりと気づかせる日本語らしい表現といえる。

はっきりと比較して主張するようなとき、あるいは相手を非難する目的の場合は、あえて「利己主義」「自己中心」などの言葉を使うことも効果的ではあるが、「我田引水」という四字熟語を引用することによって、人間関係の軋轢を低減させる効果がある。

我田引水の語の例文、使い方

我田引水の語の具体的な使い方として、「我田引水と誤解されるような言動は慎むべきである」「我田引水と思われかねないことは承知の上なのですが」など、ビジネスの場や微妙な人間関係に気を使う場面でも、この例文のようにさりげなく真意を伝えることができる。

「我田引水」のように古くからの生活に根差した言葉は、現代においては雅やかな効果を生み、たとえそれがネガティブな内容であっても人々の心に受け入れられやすい効果を生むのである。