新語時事用語辞典とは?

2020年7月21日火曜日

三文判

読み方:さんもんばん

三文判とは、三文判の意味

三文判とは、工場で大量に作られた安物の印鑑という意味のこと。三文判の語源は、江戸時代に庶民が安価な印鑑を求めたことに由来する。「三文」の「文」は江戸時代までに流通していた銭貨の単位である。二束三文の四字熟語に使われるように、金銭的な価値がほとんどないものに使われる。その「三文」を、判子を意味する「判」と組み合わせ、安い印鑑を表す言葉として世の中に定着していった。英語では、既製品の印鑑という意味の a ready made seal と表現される。

三文判は主に、公的証明のいらない認印として使われる。公的証明に使える印鑑は実印で、自分が住んでいる自治体で印鑑登録証を発行してもらわなければならない。この証明力の高い実印よりも、認印は印鑑の持ち主として身分証明する力は弱くなる。会社や不動産の登記などの重要な書類には実印、宅配の受領印や簡易の証明印には認印のように、ほとんどの人が使用目的に合わせて使い分けをしている。

実印に比べて三文判は、ハンコのサイズが小さめになるケースが多い。実印は、自治体によってハンコの規定値が定められていて、四方が15ミリ以上ある大きなサイズが推奨されている。一方、三文判サイズは、直径10.5ミリの小ぶりなものから、直径12ミリの中くらいのもの、直径13.5ミリのやや大きめのものまで、主に3種類が使われる。女性は男性よりも手の大きさが一般的に小さめなので、三文判サイズの目安も直径12ミリ以下になる。

糟糠の妻

読み方:そうこうのつま

糟糠の妻とは、糟糠の妻の意味

糟糠の妻とは、貧しい時代から一緒に苦労を重ねてきた妻という意味のこと。糟糠の語源は酒粕と米ぬかで、妻はそのまま夫人、妻のことを指している。由来となっているのが中国の歴史書である後漢書に書かれている「糟糠の妻は堂より下さず」である。貧しい時代から支えてくれた妻は出世しても追い出すわけには行かないという意味がある。糟糠の妻を英語で表現すると long-suffering wife が近い。

糟糠の妻の類語、対義語

糟糠の妻の類語には、自分の心や真価をわかっていてくれるという意味の「知己朋友」や、全幅の信頼をおくことが出来るパートナーを指す「腹心」などがある。糟糠の妻の対義語には、義理を欠く行動や言動を指す「不義理」や、嘘をついたり裏切ったりすることを指す「不誠実」などが挙げられる。

糟糠の妻の例文や使い方

糟糠の妻の例文には、「糟糠の妻がいてくれたからここまで頑張ることが出来て今の自分がある」や、「この世の中の誰よりも糟糠の妻が一番信用できる存在だ」などが挙げられる。

糟糠の妻の語は、かつて貧しい時期があっても今は立身出世しているような人に使う言葉である。今もなお貧しい生活をしている人には糟糠の妻の語は適切ではない。ちなみに、糟糠の妻は結婚式のスピーチや自分の夫婦愛を語る際に使用しても嫌味になりにくいためよく使われている。

獅子身中の虫

読み方:しししんちゅうのむし

獅子身中の虫とは、獅子身中の虫の意味

獅子身中の虫とは、獅子の体内に寄生した虫がついには獅子を死に至らせるという意味のこと。恩を仇で返すことや組織内にいながらも害を与える人間のことを指す。獅子身中の虫の語源由来は、獅子はライオンを指し、虫は寄生し攻撃する虫のことである。英語で直接表現すると parasites in a lion になるが、裏切り者を指す traitor も使われる。

獅子身中の虫の類語、対義語

獅子身中の虫の類語には、組織内にいながら組織に害を与えるという意味で「裏切り者」や「飼い犬に手を噛まれる」が挙げられる。獅子身中の虫に明確な対義語は存在しないが、深く信頼することができることや、深く信頼することが出来る相手という意味を持つ「腹心」や、人目のないところでも人や組織を支えているという意味を持つ「縁の下の力持ち」などは対義語として挙げることができる。

獅子身中の虫の例文や使い方

獅子身中の虫の例文は、「まさかアイツが獅子身中の虫になるとは思ってもみなかった」や「彼はこのプロジェクトの獅子身中の虫になっているので、メンバーから外すことを検討してもらいたい」などが挙げられる。

獅子身中の虫の使い方で注意したいのは、獅子身中の虫がネガティブな表現であるため本人に直接言うのは避けたいという点である。なお、トロイの木馬と似ているとされることがあるが、トロイの木馬はスパイであり獅子身中の虫は身内なので使い方は異なる。


高嶺の花

読み方:たかねのはな

高嶺の花とは、高嶺の花の意味

高嶺の花とは、遠くから見ているのが精一杯で入手できない、憧れの存在という意味のこと。高嶺の花の語源は、山の高くそびえる頂やその周辺部分を指す嶺と、植物が成長して果実の基となり多くの目を惹き付ける花である。高山に自生する可憐な花は、崖や岩場など足場が悪い環境が多く手が届きにくいことが由来となっている。英語圏では、直訳表現で非常に高い夢という意味合いになる lofty dream が該当する。

高嶺の花の類語、対義語

高嶺の花の類語には、どれだけ努力しても叶わないことを意味する「及ばぬ鯉の滝登り」や、欲しくても手に入らないことを示す「花は折りたし梢は高し」が挙げられる。

対義語はどこでも入手できて存在感がない「路傍の石」や、本人の能力や地位にふさわしい「分相応」である。高山植物が高所に生息し通常では手に入れにくいこと、珍しく希少な花を美しい女性や高価な物に置き換えて用いられることが多い。

高嶺の花の例文と使い方

高嶺の花の語の例文としては「なんの取り柄もない自分にとって、才色兼備な彼女は高嶺の花だ」というように用いる。物品に対しても有用で、「日々の生活がやっとの給料しかない私には、あの高級車は高嶺の花だ」と使うこともできる。憧れの存在や手に届かない人、物を指す表現であり、男性に対して用いても問題はない。ただし花という単語が含まれていることから、女性に対して使われることが多い表現である。

鶏口牛後

読み方:けいこうぎゅうご

鶏口牛後とは、鶏口牛後の意味

鶏口牛後とは、大きな集団の末端にいるよりも小さな集団の先頭に立つことを重んじるべきという意味のこと。鶏口牛後の語源は「鶏口となるも牛後となることなかれ」で、由来は中国の故事「史記」蘇秦列伝に記載の、秦と周辺6ヵ国との関係性を表したものである。秦の支配下に置かれるか、秦に対抗する小国のトップであり続けるかを考えた結果、後者に決めたことから「鶏口となるも牛後となることなかれ」ということわざがうまれた。英語では better be the head of a dog than the tail of a lion となる。

鶏口牛後の類語、対義語

鶏口牛後の類語は「鯛の尾より鰯の頭(たいのおよりいわしのかしら)」、「大鳥の尾より小鳥の頭(おおとりのおよりことりのかしら)」などがある。意味はどちらも鶏口牛後と同じで、大きな集団の末端より小さな組織の頭となること重視すべきということである。大きな集団が鯛と大鳥、小さな集団が鰯と小鳥になる。

鶏口牛後の対義語は「寄らば大樹の陰(よらばたいじゅのかげ」「犬になるなら大家の犬になれ」などが挙げられる。頼りにするなら権力のあるものがいい、という意味である。

鶏口牛後の例文と使い方

鶏口牛後の例文として「鶏口牛後の気持ちで、大企業への就職ではなく起業をすることにした」「鶏口牛後も大事だが、ネームバリューが欲しいので有名企業に就職したい」などがある。就職活動などの人生の岐路に立った時に使われる。二つの道が選択肢にある時、地位にこだわるのか組織のネームバリューににこだわるのか、という問いかけの言葉である。



栄枯盛衰

読み方:えいこせいすい

栄枯盛衰とは、栄枯盛衰の意味

栄枯盛衰とは、人や世の中は盛んな時もあれば衰えることもあり繰り返していくという意味のこと。栄枯盛衰の語源は、栄枯には栄えることと衰えることの意味があり、盛衰には盛んになることと衰えることという意味がある。栄枯盛衰を英語で表現すると rise and falls となる。

栄枯盛衰の類語

栄枯盛衰の類語には、自分の地位などを威張っている人は遠くない将来に凋落するという意味の「驕れる者は久しからず」や、物事は盛んになったらその後は衰えていくという意味がある「物盛んなれば則ち衰う」などがある。

栄枯盛衰の例文や使い方

栄枯盛衰の例文としては「栄枯盛衰は世の常だから驕らずに協力しあっていかなければならない」や、「あの再ブレイクした人気芸人も少し前までは全く見なかった。栄枯盛衰とはこのことだね」などが挙げられる。

栄枯盛衰と盛者必衰は意味が異なる。栄枯盛衰は盛んなときとそうでないときを繰り返すことを指しているのに対し、盛者必衰は勢いのあるものは必ず衰えるという意味である。


虚心坦懐

読み方:きょしんたんかい

虚心坦懐とは、虚心坦懐の意味

虚心坦懐とは、先入観やとらわれの心を持たない素直な状態という意味のこと。虚心坦懐は、「何もない」という意味の「虚」と、心持ちの「心」が「虚心」の語源、由来と言われている。「坦懐」は、「やすらか」の意味をもつ「坦」と「心のなか、胸の内」などを指す「懐」が、語源、由来になっている。虚心坦懐を英語で表す時は、 open mind や flankness、flankly などの表現を使うことが多い。

虚心坦懐の類語、反対語

虚心坦懐の類語に挙げられるのが、「虚心平気」や「明鏡止水」といった四字熟語である。虚心平気は、虚心坦懐と同じくわだかまりのない素直な心持ちを表現するときに使われる。明鏡止水は、澄み切った鏡のようにわだかまりがなく、静かな水のように落ち着いた心のことを指す。

虚心坦懐の反対語は、「疑心暗鬼」や「幽霊の正体見たり枯れ尾花」などである。疑心暗鬼は、疑いの気持ちで物事を見ると、すべてが鬼に見てしまうという意味の使い方がされる四字熟語である。

幽霊の正体見たり枯れ尾花は、恐怖心があると、何でものないものでも幽霊に見えてしまうことを指す。

虚心坦懐の例文や使い方

虚心坦懐の例文には、「今日は担当者同士で虚心坦懐に話し合おう」や「虚心坦懐な意見交換が功を奏し、契約がまとまった」などが挙げられる。これらは、ビジネスでの率直な話し合いや交渉事などを表現するときによく用いられる。

傍若無人

読み方:ぼうじゃくぶじん

傍若無人とは、傍若無人の意味

傍若無人とは、周囲のことを考えずに勝手に振る舞うさまという意味のこと。傍若無人を英語で表現すると insolence となる。傍若無人は、「傍若」と「無人」の2つの言葉の意味が合わさってできた四字熟語ではなく、漢字四字で成立する、比較的珍しい四字熟語である。

傍若無人の類語、対義語

傍若無人の類語は、社会的に誤った行動という意味で「不躾」や、目下の人間に対して傲慢な態度を取るという意味で「驕傲」などが挙げられる。

傍若無人の対義語は、周囲の人を思いやり控えめで遠慮深い態度を取るという意味の「遠慮会釈」や、礼儀正しいさまを指す「丁寧な物腰」などが挙げられる。

傍若無人の例文や使い方

傍若無人の例文として、「電車内で大声で電話している傍若無人な人だ」や、「仕事はできる人なのに部下に対しての傍若無人なさまが気になる」などが挙げられる。

傍若無人の語を直接その人に対して使うことはあまりない。自由に振る舞うさまには自由奔放や天真爛漫もあるが、傍若無人の場合は人に迷惑をかけているというニュアンスが含まれていることが多い。


画竜点睛

読み方:がりょうてんせい

画竜点睛とは、画竜点睛の意味

画竜点睛とは、物事を成し遂げるために重要な最後の仕上げという意味のこと。画竜点睛の語は、歴代名画記という書物に書かれた漢文に由来して、張僧繇という梁の画家が描いた竜の絵が、最後の瞳を描き終えた時に本物の竜のように空高く舞い上がったという伝説が語源になっている。

画竜とは絵に描いた竜のことで、「がりゅう」ではなく「がりょう」と読む。「点睛」とは絵に瞳を書き入れることで、「睛」とは瞳を意味する漢字であるために、「晴」という漢字を代用することはできない。

画竜点睛の類語

画竜点睛の類語として、「点睛開眼」という四字熟語が挙げられる。点睛開眼も画竜点睛と同じように歴代名画記のエピソードが語源になっており、竜の絵に瞳を書き入れたことで、絵に魂が宿ったことから、物事は仕上げが重要だという意味を持っている。「物事の肝」も画竜点睛の類語である。

画竜点睛の例文、使い方

画竜点睛の例文としては「この絵は画竜点睛を欠く」というような使い方が挙げられる。これは、最後の仕上げが不十分であることから絵が不完全になっているという意味を表している。

日本語で画竜点睛という言葉が使用される場合には、「画竜点睛を欠く」というフレーズで使われることが多い。

明鏡止水

読み方:めいきょうしすい

明鏡止水とは、明鏡止水の意味

明鏡止水とは、邪念ややましさがなく、落ち着き払っているという意味のこと。明鏡止水の語源は、「明鏡」と「止水」の二つの言葉が組み合わさってできた四字熟語であり、中国古典「荘子」の「徳充符篇」に由来した言葉である。

明鏡止水の「明鏡」は、よく磨かれた鏡には汚れも垢も付かないが、汚れていれば塵や垢が付いて曇ってしまい、物事がはっきりと見えなくなってしまう、という意味の文章からきている。「止水」は、人は流水を鏡として使わず、止まった水を鏡にする。不動の心を得た者だけが、心の安らぎを求める人にそれを与えることができる、という意味の文章からきている。

明鏡止水を英語で表現すると、 clear and serene や a mind as serene as a polished mirror のように表現される。明鏡止水という言葉そのものを表すのではなく、澄み切った、落ち着いた心のことを表している。

明鏡止水の類語、対義語

明鏡止水の類語として、「虚心坦懐」や「晴雲秋月」などが挙げられる。「虚心坦懐」には、心にわだかまりがなく、落ち着いていることの意味があり、「晴雲秋月」には、汚れなく、澄み切った心のことを指している。対義語には、「疑心暗鬼」や「意馬心猿」が挙げられる。「疑心暗鬼」は、一度疑い始めると、全てに不安や恐怖を感じることのたとえであり、「意馬心猿」は、煩悩や欲情などで心が混乱して、落ち着かないことのたとえである。

明鏡止水の例文、使い方

明鏡止水の例文として、「明鏡止水の心」や「明鏡止水の境地」がある。使い方としては、明鏡止水の後に心や気持ちなど、心情を表す言葉を用いることが多い。

慇懃無礼

読み方:いんぎんぶれい

慇懃無礼とは、慇懃無礼の意味

慇懃無礼とは、表面的には礼儀正しいが、かえって無作法に見えるという意味のこと。慇懃の慇の語源は丁寧であり、懃の語源は気遣いとされる。すなわち、慇と懃は類似した語源を持ち、慇懃は二重に礼儀正しいという意味を強調している。これに対して、無礼は慇懃の正反対の意味で、礼節を欠くという意味である。慇懃無礼は、英語では superficial politeness(うわべだけの礼儀正しさ)や hypocritical courtesy(偽善的な礼節)と表現する。

慇懃無礼の類語、対義語

慇懃無礼の類語としては、慇懃尾籠やおためごかしが挙げられる。慇懃尾籠は、いんぎんびろうと読み、丁寧過ぎて不快感を与える行為を指す。おためごかしは、他人のためというふりをして実は自己の利益目的の振る舞いのことである。

対義語には、横柄親切(態度はぶっきらぼうだが内心は優しいこと)や誠心誠意(表面的態度と違わず内心も誠実なこと)などが挙げられる。慇懃無礼は、悪意がないのに丁寧すぎてかえって相手には無作法に見えてしまう場合と、相手を見下しているくせに、その本心を隠して表面だけ丁寧なふりをする場合の2つの使い方に分けられる。

慇懃無礼の例文、使い方

慇懃無礼の例文としては、「サービスだと思ってあまりしつこく電話すると逆効果で、慇懃無礼だと思われるよ」や「エコノミークラスのチケットを持ってファーストクラスのラウンジに入ろうとしたら、受付嬢から慇懃無礼な態度で断られた」が挙げられる。前者は善意のつもりで行う行為が過剰なため、相手から逆に無作法だと受け止められてしまう場合で、後者は相手を侮蔑する内心を隠して表面だけ丁寧に対応するケースである。