新語時事用語辞典とは?
2020年10月30日金曜日
推敲
推敲の推の意味は訓で「おす」と読み、「何かを推薦する」という意味だけでなく、「物理的に何かに力を加えて前進させる」という意味もある。一方で推敲の敲の意味は訓で「たたく」と読み、「何かをとんとんと打つ」や「かたいものやこぶしで打つ」という意味がある。賈島という詩人が漢詩の詩句において「推」という字を当てはめるか、それとも「敲」の字を当てはめるか悩んだ事から生まれた故事成語であるため、推敲の意味としては詩や文章を作る時により適切な字句や表現を求めて、試行錯誤し作品として練り上げる事をいう。
推敲の出典は「唐詩紀事」であり、唐の時代の無名の詩人である賈島が作った詩に対して唐の都の長安の大官であり当時著名な詩人でもあった韓愈がアドバイスをした挿話が語源となっている。以下その詳しい顛末である。賈島は科挙(高級官吏の登用試験)の試験を受けるために長安の都にろばに乗ってやって来て詩を作り、「僧は推す月下の門」の句を思いついた。だが、この句の中の「推」の字を改めて「敲」の字にしようかとも思った。そこで賈島は手を伸ばして、手を推したり、敲いたりするしぐさをしてみたが一向に決まらなかった。そしてうっかりして賈島は長安の長官である韓愈の行列にぶつかってしまった。そこで賈島は韓愈に事の次第を語った。それを聞いた韓愈は「敲の字が良い」と賈島に言った。そのまま二人は並んで行き、詩を論じた。以上が推敲の故事成語の具体的な賈島と韓愈の挿話である。科挙に受かっていないため(当時の科挙では作詩の試験が出題された)作詩に自信がなかった賈島は自分が作った詩の字句の一部を「推」にするか「敲」にするかで悩みぬき、うっかり韓愈の行列にぶつかってしまったため捕らえられるかと思っていた。しかし却って韓愈は親切にもアドバイスをくれ賈島の作詩を手伝ってくれたという訳である。
推敲を重ねるという表現とその類義語との違いについて詳しく説明していく。まず「校正」との違いからである。そもそも校正の校という字には「くらべる」という意味があり、常用漢字表にはない表外読みの訓読みで「校べる(くらべる)」とも読む事からも想像出来るように、校正とは「校べて正す」という意味である。故に印刷物の誤字や脱字などの不備を原稿とくらべ合わせて正すという意味の「校正」と詩や文章を実際に書く場面において、その字句についてあれこれと試行錯誤して練り上げる意味の「推敲を重ねる」という表現とは大きく意味が違うという事が言えるのである。
次に「訂正」との違いを説明していく。訂正の訂という字も正と同じく「ただす」という意味があり、表外読みの訓読みで「訂す(ただす)」と読む。故に「訂正」という熟語の意味は誤りやくいちがいを正すという意味合いが大きく、「推敲を重ねる」という表現が持つような創作的な意味合いは少ないのである。最後に「改訂」との違いであるが、「改」という字は訓読みで「改める(あらためる)」と読む事から、「改訂」は「改めて訂す(ただす)」というのが字義であり、書物の内容などを改めて直すというような意味合いが強く、「推敲を重ねる」のような文章や詩の創作時における練り直しをするという意味はないのである。
文章の推敲をするに当たっての方法やコツであるが、それは文章を書き終えた時にその文章の論理が首尾一貫しているかどうかまず確認してみる事である。文章の論理が首尾一貫していなかったらもう一度書き直す事をお勧めする。そして文章の論理が首尾一貫している場合は次に文章全体の文法的な整合性が取れているかどうかを確認してみて欲しい。「てにをは」が間違っていないかどうか、また主語や目的語が抜けていないかどうかを確認していこう。文法が滅茶苦茶だと文章の趣旨が読者に伝わりづらいのである。次に自分が書いた文章を読み返してみて、自分が書いた言葉の意味を確認する事も大切な事である。知らず知らずのうちに自分でも意味の分からない言葉を使ってしまう事があるからだ。
またより適切な表現がないかどうか類語辞書を使って確認する事も忘れないようにしたい。日本語は語彙が多いので、例えば一人称でも「私」、「僕」、「わし」、「あたし」、「小生」など多種多様な表現があるからだ。文章を読み上げる場や渡す人に相応しいものに仕上げるために推敲は欠かせないものであるので、何度も推敲の経験を積む事も推敲のテクニックを上達させていくためのコツなのである。
句読点
読み方:くとうてん
句読点とは、文字言語において文章の区切りや文意の区切りを示すために付けられる符号である。「句点」と「読点」の総称。句点と読点のみを指す場合もあるが、疑問符、感嘆符、いわゆる約物の類を幅広く含む場合もある。
句読点は句点と読点の総称である。句点は「。」の符号であり、文の最後の終わりを示す。読点は「、」の符号を指し、文章の意味上・構造上あるいはリズム的な区切りを示す。句読点の配置いかんによって、同じ文章でも、読みやすさや分かりやすさに雲泥の差が生じる。
日本語の句読点に相当する符号は英語をはじめとする西欧言語でも用いられている。「句点」に相当する英語の符号はピリオド( . )、同じく「読点」に【相当する英語の符号はカンマ( , )である。ピリオドやカンマやその他の約物を総称する「句読点」を、英語では punctuation(パンクチュエーション)という。
中国語では、日本語の句読点に対応する符号を総称して「标点(biāodiǎn)」という。标点の中には日本語の句読点と形や用法が似るものもあるが、だいぶ違った使われ方をするものもある。
句読点の打ち方・使い方について、句点については「句点は文章の最後に打つ」「行頭に句点を置かない」といった基本的な規則があるが、これ以外には絶対的といえるほどの規則はない。「カギ括弧の中の文の最後には句読点を打たない」というルールは、文章技術としてはおおむね標準的なルールといえるが、絶対的にそうと決まっているとまでは言いにくい。
字数の都合で(行末で文が終わって)改行後の行頭に句点または読点が位置してしまうような状況では、あえて行長よりはみ出した位置に句読点を打つことが許される。これを「句読点のぶら下げ」という。
文章技術には「一文一義」という指針がある。これは一文あたり情報を一つだけ記すということである。言わずもがな文は句点によって示される。一文一義の実践には句読点の打ち方に対する意識の充実が欠かせない。
読点は、文を読みやすく分かりやすく整える手段として使える。たとえば、主語や長々しい場合、主語の後に読点を打つことにより、どこからどこまでが主語なのか分かりやすくなる。
句読点は読み手の息継ぎのポイントにもなる。音読した際の息継ぎする箇所を想定して読点を打つと、文章にメリハリが出て読みやすくもなる。
読点は文章の誤読(読み誤り)を防ぐためにも使われる。句読点を打つ位置が違えば、修飾語や修飾節がどの語に係るかという理解が大きく違ってくる。
私は、疲れた表情で駅で電車を待つ女性に話しかけた。
私は疲れた表情で、駅で電車を待つ女性に話しかけた。
あったかい、スープだね
あっ、たかいスープだね
句読点を上手に打つコツとしては、やはり読み手の立場で文章構造を考えるという点に尽きる。句読点は、文章を読みやすく分かりやすくするために打つ補助的な符号である。文章はどうしても書き手の独り善がりになりやすい。時間を置いて遂行すると文章を客観視しやすい。
音読をして読みやすいかどうかを確認するのも、読点の位置が適切かどうか判断するには効果的といえる。音読してリズムが整わない・気持ちの悪い文章は、たいていの場合、文字で読んでも気持ちが悪い。
読点は打ちすぎないように心がける必要がある。「私は、疲れた表情で、駅で、云々」というふうに、むやみやたらと読点を打つと、かえって読みにくく分かりにくくなる。
読点は一文の全体の中で配置を考える必要がある。勢いに任せて文章を記すと、語の係り方が不本意な解釈をされやすい格好になる場合がままある。「私は中国人で、中華料理店のオーナーの人と先日知り合いになった」とか。