新語時事用語辞典とは?

2020年11月11日水曜日

インターフェース

別名:インターフェイス
別名:インタフェース
英語:interface

インターフェース(英:interface)とは、もともと「接点」や「境界面」を意味する語であり、特にコンピュータシステムにおいて異なる機器やシステムを接続する部分を指す用語として用いられる表現。人間と機械の接点となる入出力システムを指す場合もある(ユーザーインターフェースおよびマンマシンインタフェース)。

IT用語におけるインターフェースの意味

「インターフェース」は 日本語ではITの分野で用いられる機会が多く、IT用語として扱われやすい。基本的には、ハードウェア(コンピュータと各種デバイス)同士もしくはソフトウェア同士を接続する機器や規格をインターフェースという。

ハードウェアインターフェース

マウスやキーボードなどの入出力デバイスを接続する規格を「ハードウェアインターフェース」「接続インターフェース」「入出力インターフェース」などと呼ぶこともある。ハードウェアインターフェースにはコネクタや電気信号(通信プロトコル)などの要素からなる。

ソフトウェアインターフェース

コンピュータプログラミングの分野では、プログラム間のデータのやりとり(通信)方法に関する規格を「ソフトウェアインターフェース」と呼ぶ。他にも、コンピューターに周辺機器を接続するケーブルの形状や通信規格のことを入出力インターフェースと呼ぶこともある。

ユーザーインターフェース / マンマシンインターフェース

コンピュータシステム(つまり機械)同士の接点だけでなく、「人とコンピュータシステムの接点」についても「インターフェース」という表現を用いることがある。

「ユーザーインターフェース」は人間がコンピュータを操作する際に扱う(接点となる)環境を総称する表現である。「マンマシンインターフェース」はより広範に「人間と機械が情報のやりとりを行う手段・装置・仕組み」を総称する言葉である。

自尊心

「自尊心」とは、自分で自身のことを肯定することができ誰からも邪魔されることなく自分に存在価値があると感じることができる気持ちのことを意味する表現。

自尊心とは、自尊心の意味

自尊心とは、自分で自分のことを誇らしく思う心を意味する。簡単にいうと、自分への高評価ということである。英語で自尊心は self‐respect、あるいは self‐esteem と表現できる。自尊心とよく似た意味の言葉に「自己肯定感」や「プライド」がある。自己肯定感は厳密な定義だと、自尊心に含まれている感覚だといえる。自己肯定感は、あくまで自分に評価されることで、自分を大切だと思える心の動きである。それに対し、自尊心は自己肯定感と、自己有用感が合わさって生まれる。自己有用感とは、他人に評価されて自分を大事に思える感情である。すなわち、人は自己肯定感の先に、自尊心を抱けるという仕組みである。

プライドも正確な定義では、自尊心と同じ概念ではない。自尊心は多くの場合、自分で自分を正しく評価した結果として抱ける感情である。そこには、実績や能力といった裏付けがともなう。しかし、プライドは自我が肥大した末の、ネガティブになりかねない感情である。自尊心はほとんどの場合、歓迎されるものであるのに対し、プライドは人生において邪魔となることもある。

なお、自尊心を育んで一人前の人間へと近づく行為を「自尊心を高める」という。逆に、自尊心の低い人は、他人といて卑屈な態度を取ったり、危険行為への抵抗がなくなったりする。自尊心を高められるかどうかは、育ってきた環境によるところも大きい。ある程度成長してからでも、学校や職場などでめざましい成果を上げられれば、自尊心は高まっていく。

自尊心の類義語、対義語

自尊心の類義語として、「自信」「自我」「自負心」などが挙げられる。自信は「自分を信じる感情」を意味し、細かい点で自尊心と意味が異なる。自尊心が成果や実績によって育まれていく一方、自信は根拠を伴わないことも多い。また、「自信過剰」といった表現があるように、否定的な文脈で使われるケースもある。次に、自我とは、「自分で意識している自分自身のあり方」である。自分が抱く、すべての感情、感覚、思考、すべてが自我の一部である。そのため、あくまでも自己評価の部分だけに関連している、自尊心とは違う。

そして、自負心は、実績や技能によって自分を誇らしく思うという部分が自尊心と似ている。しかし、自負心とは「自分の能力に責任を持つ」というニュアンスを含む。自負心は、「自分を大切に思う」という文脈で使われる自尊心と、使い分けるべきである。

自尊心には対義語もある。「劣等感」「自虐」「卑屈」などは、自尊心と逆の意味を持つ。劣等感とは要するに、コンプレックスである。自分に自信を持てず、低評価をつけてしまう心である。次に、自虐は、自分で自分を悪く触れ回る行為、あるいは、そうした思考を意味する。そして、「卑屈」は過剰に自分を低く見せる状態である。卑屈な人は、自分を攻撃しながら、他人にも嫌味な態度をとっていることが多い。卑屈の原因には、自尊心の低さが潜んでいる。それゆえ、自尊心が高まれば、卑屈な態度も直っていく可能性はある。

自尊心が高い人、低い人

自尊心が高い人物は、自分の能力や現状をありのまま受け止めている。そのため、不平不満を口にする機会が少ない。また、他人に対してもおおむね寛容である。自分の価値を把握しているので、他人の言葉を素直に解釈できる。言葉尻をとらえて怒ったり、不要な批判をしたりすることが少ない。その結果、人間的な余裕にもつながっていく。

自尊心の高い人間はリーダー職、教育係に向いている。他人から信頼されやすく、年少者からの良き手本にもなれるからである。こうした立場について、自尊心の高い人は謙虚になることはあっても、卑屈にはならない。適切な責任を感じながら、与えられたタスクを果たしていく。また、自分を肯定できているので、ミスを犯しても必要以上に落ち込まない。切り替えの早さも、自尊心の高い人の特徴である。

一方、自尊心の低い人は他人にも自分にも、攻撃的な面を見せる。自尊心の低い人はプライドが肥大しやすく、それでいて能力に自信がないので、他人の言動に敏感である。相手が無意識に発した言葉にも、ネガティブな意味を見出してしまう。また、自分が自分を評価できないように、他人もそう思っているのだと信じ込みがちである。そうした心理状態が続くため、自尊心の低い人は相手の態度を素直に受け取れない。感謝や思いやりを示す頻度が低いので、決して人当たりがよくない人間へと育っていく。総じて、自尊心の低い人はいつでも不満を感じており、人間関係でトラブルを起こしやすい。

自尊心の例文、使い方

自尊心を使った文では「自尊心を傷つけられる」という表現が有名である。すなわち、誰かに自己評価を否定される状態である。多くの場合、他人からの批判が理不尽であったり、的外れであったりする。ただし、正当性のない批判であっても、日常的に続けば当人の自尊心はどんどん低くなっていく。幼児期に虐待を受けた人間が、成長してから人間関係を上手く築けなくなる現象は、自尊心を傷つけられているからだといえる。

「自尊心を持つ」という言葉は「自尊心を高める」に似ているものの、「もともとなかったものを意識的に抱く」というニュアンスを含む。精神的な領域において、「持つ」とは「強く意識する」ということである。つまり、自分で自分を高く評価できるよう、考え方を変える行為を指す。

「自尊心を高める」という表現を「自尊心を育てる」と言い換える場合もある。意味として、両者はほとんど同じである。「育てる」とは地道に続けていくとのイメージを持つ言葉である。「自尊心を育てる」とは、自尊心が低い状態から継続的に努力して少しずつ高めていくことを意味する。

「自尊心を満たす」は、他人の自尊心を意図的に刺激し、自己肯定感を高めてあげることである。そのため、自尊心を満たすための言葉、行為は本心からのものとは限らない。相手の心を都合よく掌握しようと、でまかせを繰り出しているだけの場合もある。

鬼門

鬼門とは、鬼門の意味

鬼門とは、日本で古くから忌み嫌われてきた方角のことで、十二支の方角では丑と寅の間、東西南北の方角では北東を指す。簡単にいうと、鬼門は物事をするのに避けたほうが良い方角を意味する。もともと、鬼門は中国に伝わる風水や陰陽道の思想のなかに登場する言葉である。風水や陰陽道の思想が中国から日本に伝わったことで、日本人の間でも鬼門という言葉が広く使われるようになった。日本では、鬼門と南西の裏鬼門を「鬼の通り道」と考え、何事をするにも避ける習慣があった。

あの世とこの世を行き来する鬼は災いをもたらす存在として恐れられてきたため、日本では家などの建物を建てるときにこれらの方角に玄関や窓などの出入り口を設けるのを避ける傾向がある。現代では、方角を指すときだけでなく自分にとって好ましくない人や事柄、苦手なものなどを表すときにも鬼門という表現が用いられる。「私にとってあそこの会社は鬼門だ」などは、ビジネスシーンでもしばしば使われることがある表現である。英語で鬼門を表すときは、どのような意味でこの言葉を使うかで表現を変えるのが一般的である。

欧米には、鬼門の考え方がない。そのため、欧米人に英語で鬼門を伝えるときには、その都度英語表現を選ぶ必要がある。「鬼の通り道」や「不吉な方角」などの意味で鬼門を表現するときは、「ghost gate」や「an unlucky quarter」、「an unlucky direction」などの表現を使うことが多い。また、好ましくない人や苦手なものなどを指して鬼門を英語で表現するときは、「a weakness」や「a weak point」などの表現が使われる。鬼門の方角を英語で表現する場合は、「he northeastern quarter」と表して北東であることを伝える場合が多い。

日本における鬼門の歴史

日本で鬼門という言葉が広く使われるようになったのは、風水や陰陽道の思想が中国からもたらされた平安時代頃と言われている。平安時代には京都を中心に陰陽道の思想が人々の間に浸透し、宮廷でも祭祀や呪術が盛んに行われるようになった。平安時代に陰陽道の宗家となったのが、安倍晴明などの著名な陰陽師を輩出した安倍氏や賀茂氏などである。この時代には、病気や天災などの災いは邪悪な鬼のしわざと考えられていた。鬼が出入りする鬼門や裏鬼門の方角は、病気などの災いを防ぐうえでも避けるべきものとして扱われてきた歴史がある。

当時の日本の宮廷では、鬼などの邪悪な存在が出入りできないように、京都の東西南北を囲んで結界を築いていた。武士が政治の実権を握る安土桃山時代頃になると、鬼門の扱いにも少し変化が見られるようになる。当時の武家の城では、鬼門や裏鬼門の方角にあえて厠などを設ける風習があった。このような武家の風習には、鬼による災いを恐れない武士としての気概や覚悟を見せる意味があったと言われている。明治時代以降は、鬼門の考え方を批判する書籍が出版され、鬼門の考え方は表向きは単なる迷信として扱われるようになる。

ただ、実際は、明治時代以降も鬼門や裏鬼門を「不吉な方角」とみなす人々が少なくなかった。陰陽道の思想と神仏習合思想が結びついた日本の家相の考え方では、現代でも鬼門や裏鬼門の方角を「忌み嫌うべきもの」として扱う傾向がある。

風水における鬼門の考え方

風水における鬼門の考え方は、日本の陰陽道の思想や家相の考え方とは大きく異なる。風水理論では、鬼門や裏鬼門を単に「運気が出入りする場所」として捉える習慣があり、日本の陰陽道の思想や家相の考え方のように「鬼の通り道」や「不吉な方角」と忌み嫌う習慣はない。したがって、風水で家の間取りを考えるときは、鬼門や裏鬼門を封じることはせず、運気がスムーズに出入りできるような対策を立てることが多い。「運気が出入りする場所」は気が不安定になりやすいことから、北東や南西の方角は常に清潔にしておくのが望ましいとされている。

風水では、汚れや乱雑な状態を邪気として嫌う習慣がある。「運気が出入りする場所」が汚れていたり、散らかっていたりすると、このような邪気の影響で悪い変化が起こりやすくなると考えられている。風水の鬼門は、中国の気候とも関係が深い。中国は、地形の影響で裏鬼門にあたる南西の方角から強い風が吹く傾向があった。強風によるさまざまな悪影響が懸念されることから、中国では南西の方角に出入り口などを設けるのは現実的でないと考えられてきた経緯がある。また、広大な中国大陸では複数の国が地続きの場所に混在していたため、古くから国と国が勢力争いの戦争をすることが珍しくなかった。

風水の理論が起こった頃の中国では、鬼門、裏鬼門の方角に当たる北東と南西に敵国があったと言われている。このような事情から、中国は古くから北東と南西の守りを万全に固めざるを得なかった。

風水の理論を意識した家の建て方

風水の理論を意識して家を建てる場合、鬼門や裏鬼門に玄関やトイレ、キッチン、バスルームなどの水回りのスペースを設けるのは良くないと考える人もいる。実際、鬼門や裏鬼門に玄関や水回りのスペースがあるという理由で、後にリフォーム工事をする人も少なくない。風水の専門家の間では、こういった工事は必ずしも必要ではないと考えられている。「運気が出入りする場所」である鬼門や裏鬼門は、整理整頓をして常に清潔な状態に保っていれば、「とくに大きな問題はない」というのが専門家の一般的な意見である。

実のところ、玄関やトイレ、キッチンなどが鬼門や裏鬼門にある場合でも、掃除が行き届いていて乱雑な状態でなければ悪い運気を呼ぶ可能性は低いと考える専門家が多い。ちなみに、運気の流れをスムーズにするうえでは、鬼門や裏鬼門の風通しを良くすることが重要と考えられている。悪い気が鬼門や裏鬼門から入り込むのを防ぎたいときは、浄化作用がある植物を置く方法などをアドバイスする専門家も少なくない。たとえば、オフィスの入口が建物の鬼門や裏鬼門に当たるときは、エントランスに観葉植物の鉢植えなどを置くと、悪い気が室内に入り込むのをブロックできると考える専門家もいる。

盛り塩も、鬼門や裏鬼門の対策でよく行われる方法のひとつである。精製していない粗塩は、強力な浄化作用があるとして風水の対策ではしばしば用いられる。風水では、このような塩を小皿に持って置いておくと、その場の空気が浄化されると考えられている。

エントロピー

エントロピーとは、エントロピーの意味

エントロピーとは、不可逆性や不規則性を含む、特殊な状態を表すときに用いられる概念である。簡単にいうと、「混沌」を意味する。もともとは熱力学において、エントロピーという言葉は使われ始めた。すべての熱をともなう物体は、「高い方から低い方へと流れる」という方向性を持っている。しかし、逆に、低い方から高い方には流れない。逆の現象は起こらないので、「エントロピーが発生している」と表現することとなる。ただ、統計力学や情報理論におけるエントロピーは、熱力学とは微妙に異なる意味合いで用いられている場面が多い。

統計力学では、所得格差を指し示すときにエントロピーが登場する。格差状態のない経済は「0」となり、格差が無秩序に広がっている場合は「エントロピーが大きい」と表現される。一方、情報理論の分野で、エントロピーは物事の可能性を示す指標として認識されてきた。可能性の低かった出来事が起こると、「情報エントロピーが大きくなる」などといわれる。

なお、エントロピーと似た言葉に「エンタルピー」がある。エントロピーとエンタルピーの違いを挙げるとすれば、エントロピーはあくまで、物事の方向性についての概念だという点である。そして、「どれだけ外部に対し、活発に働きかけるか」という概念がエンタルピーとなる。ある物体の熱が冷たい物体に伝わるとき、「エンタルピーが高い」と表現される。ただ、熱の伝わり方が分散していれば、「エントロピーが発生している」といわれる。

熱力学におけるエントロピー

熱力学において、熱は必ず温度の高いものから低いものへと伝わっていく。たとえば、熱くなった鉄に氷を乗せれば、氷が溶けるのは自明の理である。その逆はないので、熱の移動は「不可逆性をともなう現象」と定義される。この不可逆性がどれだけ強いのかを、数値で表すために発見された概念がエントロピーである。エントロピーは熱と内部エネルギー、行われる仕事を関数で表す。エントロピーが高くなればなるほど、「不可逆性が強い」ということである。ちなみに、可逆性のある現象については、エントロピーが「0」とされる。エントロピーがマイナスになることはない。

エントロピー増大の法則

熱力学で頻繁に用いられる理論が、「エントロピー増大の法則」である。エントロピーは、物質が存在し続ける限り増大し続ける。外部から何らかの働きかけをしてやらない限り、エントロピーが減少することはない。言い換えれば、物事は秩序から始まり、自然に無秩序へと向かう可能性はあっても、さらなる秩序を目指しはしない。前述の、鉄と氷の関係でいえば、熱い鉄はずっと氷を溶かし続ける。仮に、氷が溶けなくなったとすれば、誰かが意図的に鉄を冷やした場合だけである。現象を放置している限り、鉄と氷の間にあるエントロピーは増大する。

ちなみに、鉄で溶けた氷は蒸気になってしまっているので、そこから再び氷の形を取り戻するのは難しい。この状態で、熱力学に基づいてエントロピーを計算すれば、数値が高くなる。一方、水がお湯になった程度の現象では、エントロピーは比較的低いと考えられる。

統計力学におけるエントロピー

統計力学の分野でも、熱力学の応用でエントロピー増大の法則は用いられてきた。そもそも統計力学とは、ある現象における法則性の有無を解明しようという学問である。ただ、現象によっては明確な法則性を含んでおらず、混沌にしか見えないことも少なくない。こうした混沌性、不規則性を数値で表すために応用されたのが、熱力学のエントロピーである。そして、統計力学のエントロピーと大きく関係しているのが「小正準集団」である。統計データをグラフにしたとき、関知しにくいほど小さい集団が小正準集団である。小正準集団の多いグラフほど、その混沌性は高い。

そして小正準集団の状態数から、はっきりと確認できる力学の潜在値を導き出す方法が「ボルツマンの公式」となる。原則的に、小正準集団が多くなれば、それだけエントロピーの値も大きくなると考えてよい。

また、統計力学にも「エントロピー増大の法則」は存在する。統計力学でもエントロピー増大の法則を応用できると証明する場合、よく使われるのが「気体の例」である。箱の中に気体を入れ、真ん中を板で仕切ったとする。このとき、右半分と左半分に気体が入っているのは明確である。すなわち、エントロピーの値も低くなる。しかし、板を取り外せば、「まだ右の気体と左の気体は変わらない」と言い切れなくなるのでエントロピーの値は高い。この例を考えれば、統計力学においても、現象を放置したほうがエントロピーは増大しやすいといえる。

情報理論におけるエントロピー

情報理論におけるエントロピーは、確率変数に含まれる情報量を表す指標であり、クロード・シャノンによって発見された。確率変数がさまざまな数値になれる状態だと、それだけ情報量も広がりを見せる。つまり、その場合の情報量は確率変数に含まれている不規則性を定義するといえる。ただし、シャノンの研究では、熱力学としてのエントロピー理論が情報理論の分野でも完全に応用できるのか、不透明なままだった。この点は後世の研究者たちの手によって解決されていくこととなる。

情報理論とエントロピーの相性が非常によかったのは、「特殊な現象には大きな力が働いている」という観点が共通していたからである。たとえば、大量のデータをコンピュータで処理しようとすれば、当然、かかる時間は遅くなる。少量のデータを処理するケースの方が速い。すなわち、情報量が多いときほど、混沌性が発生しやすいのだといえる。こうした現象を数値化していくために、エントロピーは用いられてきた。

おおまかな解釈として、情報理論のエントロピーは「分からない部分の大きさ」を示している。分からない部分が多いほど、情報量は大きくなる可能性を秘めている。一方、分からない部分が少ない情報量は、大きくなる可能性が切り捨てられてしまっている。なお、ある出来事自体に含まれている情報量を「自己エントロピー」と呼ぶのに対し、平均情報量は単に「エントロピー」といわれることが多い。