新語時事用語辞典とは?

2022年11月18日金曜日

オノマトペ

英語:onomatopoeia

「オノマトペ」とは、「わんわん」「ワクワク」などのように様々な状態や動きなどを音で表現した言葉のことを意味する表現。英語では「onomatopoeia」でありカタカナ語の「オノマトペ」はフランス語「onomatopée」に由来する。

オノマトペとは、オノマトペの意味

オノマトペとは、さまざまな状態や動きなどを音で表現した言葉のこと。主に自然界にある音や声など、現実に聞こえる音を人の言語で表現した言葉である。犬の鳴き声の「わんわん」など。その他には、「ワクワク」のように、実際には音は聞こえないが感覚的な表現としてのオノマトペがある。日本語は特にオノマトペが多く用いられる言語といわれている。

オノマトペの語源

オノマトペの語源は、古代ギリシャ語のオノマトポイーア(onomatopoiia)に由来する。古代ギリシャ語のonoma(名前)とpoiein(作る)という言葉が融合しオノマトポイーア(言葉を作る)がという言葉が生まれた。古代ギリシャ語のオノマトポイーアを語源とし、英語ではオノマトピア(onomatopoeia)、フランス語ではオノマトペ(onomatopee)という言葉になっていった。

オノマトペは、ある状態を表現する際に便利な言葉である。例えば、雨が降っている状態を誰かに伝えようとした場合、オノマトペを使用することで細かいニュアンスまで伝えることが可能だ。弱い雨なら「シトシト」、激しい雨なら「ザーザー」などのオノマトペを使用すると、聞き手もどのような状態であるのかをイメージしやすい。しかもオノマトペを用いることで、長々と説明する必要がなく簡潔に伝えることができるというメリットもある。日本語では多種多様なオノマトペがあるが日常生活の中でごく当たり前に使用されているため、あまり注目されることは少ない。日本では「ブーブー」(自動車)など幼児語に使用されることが多いため、幼稚っぽいというイメーシもある。オノマトペを意識して使用するのではなく無意識うちに使用しているのも日本におけるオノマトペの特徴だと言える。

オノマトペの種類

オノマトペの種類には、擬音語と擬態語がある。擬音語は音を描写した「ニャーニャー」「ゴクゴク」などであり、擬態語は「キョロキョロ」「イライラ」「シーン」など実際に音はしていないが、言語によって状態や動作などを表現している。日本においては、2つの区別を意識することは少なく、オノマトペは擬音語と擬態語の両方を指すことがほとんどである。代表的なオノマトペとしては「ピカピカ」「モチモチ」「ニコニコ」「コケッコッコー」などが有名だ。特に幼児期には、感覚的かつ理解しやすいためオノマトペを使用する場合が多い。

救急車は「ピーポーピーポー」、うがいは「ガラガラぺッ」など、実際に聞こえる音と結びつけることで物の名称や動作を覚えやすくなる。その後、成長とともに正式な名称を覚えることによってオノマトペを使用した表現から通常の表現へと移行していく。

オノマトペと若者言葉

オノマトペは感覚に働きかけ相手に簡潔に伝わりやすい語のため、若者言葉の中にも多く取り入れられている。頭で考えるよりも心で感じることを重要視する傾向がある若者にとってオノマトペは最適なツールの1つである。オノマトペを使用してテンポよく会話を楽しむ若者が多い。例文としては「あの先輩、オラついてて怖い」などがある。

この例文でのオノマトペは「オラつく」である。これは「オラオラ」という強引や高圧的な状態を指すオノマトペが元になった若者言葉である。その他には、「ジワる」というオノマトペもある。後から「ジワジワ」と笑いが起こる状況を表現する若者言葉である。その時には面白くなかったのに、後から徐々に面白さが込み上げてくる状況を、「ジワる」というたったの3文字で表現している。このように若者も会話をリズミカルに進行するために無意識にオノマトペを活用している。


ベトナム戦争

読み方:ベトナムせんそう
英語:Vietnam War

「ベトナム戦争」とは、南北ベトナムの統治を巡って1954年~1975年までの凡そ21年間にわたり継続された一連の紛争のことである。「ベトナム戦争」に関する開始時期や終了時期をいつとみなすかについては所説ある。

ベトナム戦争の概要

ベトナム戦争とは、南北ベトナムの統治をめぐる戦争である。南ベトナムはアメリカ合衆国、北ベトナムはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)の支援を受けていたため、実質、米ソを始めとする資本主義陣営と社会主義陣営の代理戦争ともいえる。べトナム戦争は1954年にジュネーブ協定によって南北ベトナムが分断されたことが遠因となって、以降様々な軍事衝突が繰り返され、北ベトナム軍を主力とする解放勢力の戦車隊がサイゴンに無血入城することで勝敗が決まったのは1975年の4月30日である。南ベトナムのサイゴン陥落を受け、北ベトナムの勝利が決定した。20年以上もの間続いた戦争の結果、ベトナムを始めとする世界各国から、数百万人もの死者が出た。

南北ベトナムの建国

1945年に、第二次世界大戦が終結した。当時、ベトナム一帯は日本軍によって占領されていた。しかし、敗戦を受け日本軍は撤退した。これを受けて、1945年にホー・チ・ミンのもと、北ベトナムにベトナム民主共和国が建国された。しかし、ベトナム全土がスムーズに統一されたというわけではない。1955年には、ゴ・ディン・ジエムがベトナム南部にベトナム共和国を建国した。以降、ベトナムは南北に分かれ、統治をめぐってを争うことなる。なお、当時の南部には反政府活動を支持する人々が多数存在していた。1960年に、北部のベトナム民主共和国は、南部をベトナム共和国の支配から解放することを表明し、「南ベトナム解放民族戦線」を結成した。

アメリカ軍による戦争介入

1961年になると、当時のアメリカ大統領ケネディが、南ベトナムに援軍を派遣。当初アメリカは積極的に戦争に関与していなかった。しかし、状況が大きく変わったのは、1964年のトンキン湾事件である。北ベトナムがアメリカ軍の艦隊に魚雷攻撃をしかけたことで、アメリカ軍の戦争介入は本格的なものとなったのだ。当時の南部には南ベトナム解放民族戦線のゲリラ軍が潜んでおり、アメリカ軍との戦いは熾烈を極めていた。そこで、ゲリラ軍に対して有利になるべく、アメリカ軍が取った策が枯葉剤の散布だ。枯葉剤を使う目的は、森林を絶やしてゲリラ軍を見つけやすくするとともに、彼らの生活を支える農作物を枯らすことでもあった。枯葉剤は1961 年から10年程にわたり散布されたが、ゲリラ軍だけではなく、アメリカ軍やベトナム民間人への健康にも著しく影響を与えることとなった。

サンゴン陥落

1964年に、ソ連が北ベトナムへの軍事支援を表明し、北部の軍事力は増強されることとなる。加えて、1965年にアメリカは北ベトナムへの空爆を開始。このように、資本主義勢力と社会主義勢力のバックアップのもと、戦争は激化していった。しかし、メディアが活発に戦地の様子を世界に発信したことで、反戦をもとめる声はしだいに高まっていく。そして、1973年のパリ協定により、ついにアメリカ軍はベトナムから撤退を決めた。南ベトナム軍の勢いは弱まり、1975年にはついにサイゴンが陥落。戦争は終結した。

ベトナム社会主義共和国の誕生

ベトナム戦争は、南北ベトナムの争いという枠を超え、世界の資本主義・社会主義陣営の戦いであった。巨額の資本が投入され、負傷者、死者ともに歴史的な人数となった。戦争終結後も、トラウマを抱えて日常生活に戻れなかった人もいる。戦争終結後、1976年にベトナム民主共和国はベトナム社会主義共和国に名を変えた。アメリカとの国交正常化を経て、ASEANにも加盟。経済成長も著しい。なお、ベトナムは国民の半数が30歳未満。労働力に期待をした世界各国が、ベトナムへの事業展開を検討している。

ベトナム戦争で浮き彫りとなった問題の1つに、枯葉剤のような化学兵器の恐ろしさが挙げられる。枯葉剤には、毒性の強いダイオキシンなどが含まれ、植物だけではなく生物に多大な影響を及ぼす。当時、枯葉剤に曝露したとされるベトナム人は数多い。しかも、土壌に残留する汚染物質の影響で、戦争が集結してから時間がたっても、いまだに、先天性の異常を抱えて生まれる子どもも少なくない。ベトナムを含め各国が協力し、土壌の浄化作業にあたっていく必要がある。2019年から浄化能力の試験が行われ、土壌を洗浄したのちに熱処理をすることで、汚染物質が高確率で分解されることがわかっている。そして、2020年には、土壌の浄化作業がスタートすることになっている。