新語時事用語辞典とは?

2020年11月26日木曜日

おすすめ

別名:お勧め
別名:お奨め
別名:お薦め

おすすめとは、おすすめの意味

おすすめ(お勧め / お奨め / お薦め)とは、相手に推薦・推奨したいものがある際に使う「すすめる」に、敬意を示す接頭辞の「お」が付いた丁寧な表現である。「オススメ」というカタカナ表記を用いる場合もある。いずれの表記も、「相手にある行動をするように仕向ける」という共通の意味を持ち、人や物について良い点・優れている点を挙げて人にすすめる時に使う。推奨する対象の分類・分野ごとに、「勧」「奨」「薦」という3つの漢字で使い分けられる。「勧」は主に相手が良い行為をするよう推める際に使われ、使用・飲食・参加などの「行為」を促す場合などに用いる。相手の求めに相応しい人・品を勧める助言の意味を持ち、強制力のない提案として使われる。

「お奨め」は、主に商品やサービスなどの「品」を対象とした推奨を意味し、指定・強制などの強い意味は持たない。「お薦め」も具体的な対象を指し示す表現で、ある物事の候補として特定の人・品を挙げ、対象が採用されるように働きかける際に用いる。自身の体験に基づいて相手を説く提案の表現で、やや強い指定・強制の意味を含む。

「おすすめ」は漢字表記よりも強制力を緩めた表現であり、目上に対する丁寧語に用られる場合もある。「オススメ」は全表記の中で最も砕けた言い方であり、日常的な俗語表現として使われる。

おすすめで用いられる、勧・奨・薦の漢字

「勧」「奨」「薦」の漢字は、それぞれ独立した意味を持つ。「勧」は、「カン」「ケン」と読み、相手を励ます、良い方向に導くなどの意味を持つ。二字熟語には、相手の行為を良いことと褒め称える「勧奨(勧賞)」や、自身の物事を良いこととして教え、同じことを行うように誘う「勧誘」、相手が行うべき処置を公的に教えて勧める「勧告」などがある。「奨」は、「ショウ」と読み、相手を褒めて力づける、励まして助けるという意味がある。熟語には、人・品・物事などの優れた部分を挙げて人に推める「推奨」、ある行為・事柄を良いこととして、それを行うように促す「奨励」、相手の行為にむくい褒めて励ます「報奨」などが挙げられる。

「薦」は、「セン」と読み、複数ある事柄の中から特定の対象を選ぶ、人を特定の地位に押し押し上げるという意味がある。熟語には人物を対象とした表現が多く、特定の人・品の特に優れた部分を評価して採用を促す「推薦」、人を選んで適した地位・役職に就かせる「薦挙」などが挙げられる。漢字の音読みはそれぞれ異なる読み方を持つが、訓読みの場合は共通して「すすめる」と読む。すべて「進める」と同語源を持つ同訓異義であり、「相手にある目的を達成してもらうために、特定の方向へ動くように促す」という同義を含む。

「進」の熟語には、勧奨やに近い意味を持つ表現が多く、目上に対して意見を申し述べる「進言」や、ある物事を達成するように推し進める「勧進」がある。

ビジネスシーンにおける「おすすめ」の使い方

上司や社長などの目上に対する敬語表現としては、一般的に「おすすめ」の表記が用いられ、相手に対して上品に述べる丁寧語と繋げて使う。例を挙げると、「在る(ある)」の丁寧語である「ございます」と繋げ、「おすすめでございます」「おすすめの品がございます」など対象を含めて使う。漢字表記の場合は提案力のある「お薦め」を用いる場合が多く、自身の経験に基づく行為の提案であるため、「致します」など謙遜を示す表現の謙譲語と繋げる。さらに、「こちらを強くお勧めいたします」「自信をもってお勧めいたします」など、強い説得力を持つ表現と繋げることで、人を納得させるための「進言」として作用する。

「おすすめでございます」や「お勧めいたします」という言い回しは、敬語が連続している強い尊敬表現で、相手によっては不適切な表現となる。先輩や同輩など地位が近い相手に対しては、尊敬表現の弱い敬語を用いた「この品をおすすめします」「胸を張ってお勧めします」など、より平易な言い回しが適切である。会議・商談などのビジネスシーンでは、「推奨」「推薦」などのおすすめと同意義・類義の二字熟語を用いる場合もある。同意義には「この品を推奨いたします」「この方を推薦いたします」など特定の人・品を候補する表現が多く、個人的な背景・事情を抜いた事務的な表現として、整合性のとれた説明の締めとして使う。類語の場合は「弊社にご提案がございます」「僭越ながら助言いたします」など、逆に謙遜の意を込めて用いる表現が多い。

文書やメールで表記する場合は、漢字の使い分けにこだわらず、ひらがな表記で「おすすめ」と書くか、あるいは「推奨」「推挙」「進言」などの表現を用いたほうが無難である。別の提案表現に言い換える場合は、「~などはいかがでしょうか」という類義の丁寧語にする。相手が体験した対象である場合は「お気に召しましたか」という表現に言い換えることで、「相手に気に入って欲しいもの」を推奨できる。同意義の言葉としては他にも、「お奨め」を意味するIT・サービスの業界用語である「レコメンド(リコメンド)」、賞などの候補に推薦・指名することを指す「ノミネート」などが挙げられる。

おすすめの類語

おすすめの類語には、よりも強い推奨の意味を持つ「いち押し(一押し、一推し)」がある。「複数の選択肢から最も推奨したい対象」を提案する表現で、第一に推奨すべき対象に対して使われる。漢字の表記によって意味の違いは無く、カタカナによる「イチ押し、イチ推し」という表記揺れもあるが、いずれの表記も意味の違いや使い分けはない。同じく複数の中から一つだけを候補に上げる言葉として、特定の地位・役職に推奨するべき対象を指し示す「候補」、候補の中で最も優れた人物・商品などを指し示す「有力候補」「第一候補」、最も見込みの高い対象を表現する「本命」が挙げられる。

「候補」「本命」は共通して、「物事を実現できる可能性を秘めていること」を示し、目標の達成を成し遂げられる人・品に対する表現で、特定の限られた対象を抜擢する際に使われる。

2020年11月24日火曜日

皇女

読み方:こうじょ

皇女(こうじょ)とは、一般的には「天皇の娘」を指す語である。「ひめみこ」とも読む。2020年11月現在、女性皇族が結婚により皇籍を離脱した際に贈る尊称として用いることが検討されている。

女性皇族が他家に嫁ぐ場合は皇籍を離れることになっている。皇籍から離脱するということは、すなわち、皇族ではなくなるということである。皇族として公務に関わる資格を喪失することをも意味する。新設が検討されている「皇女」とは、皇籍を離脱した後も公務に関わってもらうための案である。

女性皇族が結婚した後も皇籍を離脱せず皇族であり続けるようにする、という案は「女性宮家」と呼ばれ以前から提唱されてきた。女性宮家を創設する案は、女系天皇の容認に結びつく可能性の高い考え方であるため、見送られて来ている。

マイクロトラウマ

別名:微小外傷
英語:microtrauma

マイクロトラウマ(microtrauma)とは、微小なダメージが蓄積されて深刻な傷となること、および、そのような微小なダメージのこと。心の傷(トラウマ)を指すことも多いが、身体的な外傷を指す意味で用いられることもある。

心的外傷を指す意味のマイクロトラウマは、いわば「ちょっとした嫌な経験」のことである。1度や2度なら大した悩みの種にもならずに忘れてしまえるが、何度も続けば蓄積されてただならぬ精神的ダメージにつながる。個々の「嫌な経験」は程度が小さいため、意識されにくく、受ける側も我慢で乗り切ろうとしやすい。

小言、否定的発言、矛盾した指示などは、マイクロトラウマに該当し得る。

身体的外傷についても、ちょっとしたダメージをマイクロトラウマと呼ぶことがある。例えば、運動する際に体の動かし方が正しくなかったりすると、関節や筋肉の一部に余計な負担がかかりやすい。そのまま運動を続けると、徐々に痛くなって運動が続けられなくなる。

さもありなん

別名:然もありなん

さもありなんとは、さもありなんの意味

「さもありなん(然もありなん)」とは、「きっとそうに違いない」「その通りである」といった意味の言葉である。要するに、同意の表現だといえる。もともとは古文に登場していた言葉ではあるものの、現代でもまったく登場しなくなったわけではない。特に、文学や随筆の分野では情感をこめた表現として、あえて現代語の中に「さもありなん」を混ぜてくることもある。一方で、日常会話の中では、ほとんど「さもありなん」が使われることはなくなった。

「さもありなん」には納得のニュアンスが含まれることも少なくない。たとえば、「ある人が飲酒運転をしていたら警察に呼び止められてしまった」という話をされたとする。それに対して「さもありなん」と返せば、「それはそうなるだろう」という納得の意を示したことになる。あるいは、強い推量を表現する語句として、「さもありなん」が選ばれることも多い。「いうまでもなくそうなるだろう」という感覚が「さもありなん」には込められている場合もある。

「さもありなん」には、やや否定的な意味合いが含まれている。「最初からそうなると思っていたし、実際にそうなった」くらいの、ネガティブな文脈で登場するケースもある。そのため、うかつに「さもありなん」を使ってしまうと、相手を不快にさせてしまうことがある。相手を称賛したいとき、素直に同意したいだけのときには、「さもありなん」以外の言葉を使うのが無難である。

「さもありなん」を品詞分解したとき、「さ」「も」「あり」「な」「む(ん)」といった要素に分けられる。まず、「さ」とは漢字にすると「然(さ)」であり、「そのように」という意味を持つ副詞である。そして、「も」は副詞の後に付け足される係助詞である。「ありなん」は正式に書くと、「有りなむ(ん)」となる。「有り」は補助動詞で、単体だと「~のような状態である」という意味である。最後は助動詞「ぬ」の未然形である「な」と、助動詞「む(ん)」が続いて、「さもありなん」の形になっている。

さもありなんに似た言葉

「さもありなん」に似た言葉として「さもあらば」「さもありぬべし」が挙げられる。「さもあらば」は、響きこそ「さもありなん」に近いものの、意味は「どうにでもなれ」であり、まったく異なる言葉である。自暴自棄になった心情を表現しており、正確には「さもあらばあれ」と書く。

「あもありぬべし」は「きっとそうであるに違いない」という意味で、「さもありなん」とほとんど変わらない。ただ、助動詞「む(ん)」のかわりに「べし」が使われることで、より強い推量のニュアンスが加わっているといえる。

「さもあらば」と「さもありぬべし」は、「さもありなん」以上に現代語で使われる頻度が低い。「さもありなん」はファッション的な意味合いで文中に使われることも少なくない。その点では、「さもありなん」のほうが歳月に耐えてきた言葉だといえるだろう。

さもありなんの例文、使い方

「さもありなん」は、「さもありなんといったところだ」「さもありなんという感じである」といった文脈で用いられる。それぞれの意味は、「それはそうなるだろうといったところだ」「そうに違いないという感じである」となる。特に、文学の世界では昭和以降の作品でも「さもありなん」が頻出してきた。あえて古典的な響きを作中に込めたいときに効果的な語句だからである。また、現代語で書くと冗長になってしまう複雑な感情も、「さもありなん」であれば一言で表現できる。

そのほか、「こういう結果もさもありなん」と、語尾に用いるケースも多い。本来ならば、現代語において「そう思っていた通りだ」のように、「さもありなん」に該当する言葉をあてはめることはできる。しかし、ファッション的な意味で、現代人の日常にはない言葉を使いたがる作者もいる。

文豪たちも「さもありなん」を効果的に使って、作品に情緒をもたらしてきた。「さもありなん」でよく知られているのは、太宰治の作品である。「さもありなん、と私は、やはり淋しく首肯している。そうなってしまったら、ほんとうに、どうしようも、ないではないか。(太宰治「蓄犬談」)」と、自嘲気味な文脈で使うことで主人公のキャラクターを巧みに際立たせている。「さもありなん」に含まれている、皮肉でネガティブな響きも太宰治の作風にはよく合っていた。そのため、「蓄犬談」は「さもありなん」の出てくる文学の代表格であり続けている。

さもありなんの類義語

「ごもっとも」や「まったくだ」も「さもありなん」と同じく、同意の気持ちを表現する言葉である。ただし、「ごもっとも」と「まったくだ」には、「さもありなん」に含まれる推量のニュアンスが消えている。いずれも物事を肯定する意味がより強い。また、「さもありなん」とは違い、深い共感を表すときにも使われる。次に、「さもあらん」はほぼ「さもありなん」と同じ意味である。ただ、「さもありなん」は近代に入っても有名な文学で使われるなどして、残っていった形である。「さもあらん」のほうが、現代では使われる頻度が減ってしまった。

古語から生き残った言葉としては、「むべなるかな」も「さもありなん」の類義語に挙げられる。意味は「その通りに思える」であり、「さもありなん」に近い。ただし、「むべなるかな」はあくまでも、誰かの考えに対して使われる語句である。「あなたの考え方は正しいと思う」との同意であり、物事全般に納得している「さもありなん」とは微妙に違う意味となる。

そのほか、「あにはからんや」は多くの人が「さもありなん」と混同しそうになる語句である。2つとも推量がこめられていて、誰かの言葉や物事に対する感想として投げかけられるのは共通している。しかし、「あにはからんや」は「そのようなことをなぜ思うのか(いや、思うはずもない)」という反語である。意外に思う気持ちを表現しており、納得を示す「さもありなん」とは細かい意味が違う言葉である。

つきましては

別名:就きましては

つきましてはとは、つきましてはの意味

つきましては(就きましては)とは、「そういうわけで」や「したがって」、「そこで」などの接続詞としての意味と、「については」、「に関しては」などの連語としての意味を持つ言葉である。接続詞の「つきましては」は、前に述べた文章の内容に続けて文頭で使うことが多い。このような使い方をする場合、「つきまして」の後に依頼や勧誘、案内などの言葉を続けるのが一般的である。「そういうわけで」や「したがって」のような順接の接続詞としてだけでなく、「そこで」のような話題を変えるときの接続詞としても使えるところは、「つきまして」という言葉の大きな特徴と言える。

連語の「~につきましては」という場合は、接続詞の「つきましては」とは使い方が少し異なる。たとえば、連語で「つきましては」を用いるときは、特定のものや事柄などを受ける形で文章の途中で使うのが一般的である。説明や報告の際に「については」と述べたい場合、「つきましては」という表現を使うとオフィシャルでやや丁寧な印象になる。実際、接続詞、連語の「つきましては」は、いずれもビジネスシーンでよく使われる言葉である。この表現がしばしば登場するのが、企業の会議やプレゼンテーション、セミナーなどである。「つきましては」は、繰り返して使うと聞いている人に冗長な印象を与えることがある。そのため、文章のなかでは、1回程度に回数を限定してこの言葉を使うのが適切であると一般的には考えられている。

「つきましては」は、漢字では「就きましては」と書く。「就きましては」は、ビジネスシーンでは慣用句のようなニュアンスで使われることが多いが、実際は複数の品詞で構成されている言葉である。この言葉は、「就く」と丁寧語「ます」の連用形である「まし」、助詞の「て」と「は」に分類される。動詞の「就く」は、理由を表す「のために」や、対象となる事柄やものを受ける「に関して」などの意味をもつ言葉である。日常の会話や印刷物などで「つきましては」と述べる場合、通常は「就きましては」といった漢字表記は用いない。この言葉は、接続詞として用いる場合も連語として用いる場合も、「つきましては」と平仮名で表記をするのが一般的である。

このような使い方は、「つきましては」の元になっている「ついては」も同様である。「ついては」を漢字で書くと、「就いては」になる。「就いては」も、「つきましては」と同じく日常会話や印刷物では漢字表記は使わずに「ついては」と平仮名で表記をするのが一般的である。「就く」という表現が元になっている言葉には、「好評につき」なども挙げられる。「好評につき」の「つき」は、「好評である」といった状況を理由にするニュアンスで使われる。「好評につき」と述べる場合も、「つきましては」や「ついては」と同様に、「好評に就き」といった漢字表記は用いない。この言葉を用いるときは、「好評につき」と平仮名で「つき」を表記することが多い。

つきましてはの使い方、例文

「つきましては」を接続詞として使う例文には、「来月、当社でプロの講師を招いてのセミナーを開催することになりました。つきましては、奮ってご参加頂ますよう、よろしくお願い申し上げます」などが挙げられる。また、「当社ではこのようなケースへの対応は致しかねます。つきましては、これからご紹介するご相談窓口に直接お問い合わせ頂ますよう、よろしくお願い申し上げます」なども、ビジネスシーンでしばしば登場する「つきましては」の文章例である。これらの文章例は、いずれも「つきましては」の後に勧誘、案内などを促す言葉を続けるのが特徴になっている。

「つきましては」は、相手に何かを依頼する文章のなかで用いられることも多い。たとえば、このような使い方をする場合には「残念ながら、私どもではこのような分野の専門知識を有しておりません。つきましては、専門家である先生にご教示賜りたく、お願いに参上いたしました」などの表現が用いられる。連語として「つきまして」を用いる文章例には、「こちらの会議の出席者につきましては、当日にお客様ご自身でご確認くださいませ」や「混雑状況につきましては、こちらの窓口ではお答えができかねます」などが挙げられる。

「個人情報につきましては、プライバシー保護のためお知らせすることができません」なども、「つきましては」が連語として用いられるときの文章の一例である。こういった連語の「つきましては」、ビジネスシーンはもちろん、日常生活でも使われることがある。

つきましてはの類語

「つきましては」には、いくつかの類語・類似表現がある。接続詞としての「つきましては」と似た表現としては、「そのため」などが代表的な例に挙げられるだろう。「従いまして」や、「これによりまして」、「これを理由と致しまして」なども、前で述べた内容に続けて「つきましては」が用いられるときの一例である。連語としての「つきましては」の類語・類似表現では、「に関して」や「については」などがよく使われる。「に関して」や「については」などは、ややカジュアルなニュアンスがあるため、ビジネスシーンではあえて「つきましては」と表現を変えて文章を述べることもある。

つきましてはの英語表現

「つきまして」を意味する言葉は、英語にもいくつかある。ただ、英語で「つきまして」を表現する場合は、シーンに応じてさまざまな表現を使い分けることが必要である。英語で「つきましては」を表すときは、接続詞、連語のどちらの意味でこの言葉を使うかで表現が変わる。たとえば、「つきましては」を接続詞として用いるときは、「therefore」や「so」のような文章と文章をつなぐ表現を使い分けることが多い。順接の意味であれば「therefore」や「so」、途中で話題を変えるときは「now」や「then」、「well」などの表現を使うことができる。

連語として「つきましては」を用いるときは、「with regard to」や「in line with this」などの前の文章を受ける表現がよく用いられる。ちなみに、連語の「つきましては」は、シンプルに「about」と表すこともできる。

鉄印帳

読み方:てついんちょう

鉄印帳(てついんちょう)は、全国の鉄道会社に設置された「鉄印」を収集するための帳面。株式会社旅行読売出版社の登録商標である。

鉄印帳は、いわゆる「御朱印帳」の鉄道版である。第三セクター鉄道等協議会と加盟各社が2020年に事業を開始した。寺社を巡って御朱印を集めるように、全国の駅の窓口を訪れて「鉄印帳」に「鉄印」をしたためてもらうという企画である。「鉄印」も、朱印に墨書きが組み合わされた、寺社の御朱印のような荘厳なデザインとなっている。

鉄印

鉄印(てついん)は「全国の鉄道会社に設置された朱印」、および、これを使った事業の名称。株式会社旅行読売出版社の登録商標。あるいは単に「鉄製の印章」を指す場合もあり得る。

鉄印事業は、第三セクター鉄道等協議会と加盟各社が2020年に開始した企画であり、一言でいえば「御朱印帳集めの鉄道版」である。寺社を巡って御朱印を集めるように、全国の駅を訪れて「鉄印帳」に鉄印をしたためてもらうわけである。

全国の鉄道駅には「駅スタンプ」が設置されている。この駅スタンプの収集を趣味とする人もおり、「押し鉄」と通称されている。駅スタンプは観光地などにも設置されている「記念スタンプ」一般と同様の印章(はんこ)であるが、「鉄印」は朱印と墨書きを組み合わせた、御朱印に近い美美しい意匠となっている。

GoTo

読み方:ゴートゥー

「GoTo」とは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の驚異により緊縮・停滞した日本経済の再起・再始動を図るために日本政府が立ち上げた事業およびスローガンである。具体的には「Go To トラベル」および「Go To Eat」のキャンペーンが行われた。

観光庁によれば「Go To トラベル」は次のような事業である。

失われた旅行需要の回復や旅行中における地域の観光関連消費の喚起を図るとともに、ウィズコロナの時代における「安全で安心な旅のスタイル」を普及・定着させる。

関連サイト:
Go To トラベル事業の概要(PDF) ―― 観光庁



2020年11月18日水曜日

グリーン産業革命

読み方:グリーンさんぎょうかくめい
別名:グリーン・インダストリアル・イノベーション
英語:Green Industrial Revolution

いわゆるグリーン産業への積極的な投資によって、産業の活性化、雇用の拡大、経済の発展、ならびに環境・気候変動問題への対応を実現しようとする取り組み。英国のジョンソン首相(第77代)が公約に掲げ推進している。具体的な目標として「2050年までに温室効果ガスの純排出量を実質ゼロに抑えてクリーンなエネルギー社会を実現する」ことが目指されている。

地球温暖化の要因とされる温室効果ガスの排出は、産業革命を皮切りに増加の一途を辿っている。この温室効果ガスを世界全体で実質ゼロ(±0)に抑えることができれば、世界の平均気温を産業革命以前と大差ない水準まで引き下げることができる、とされる。

なお、「産業革命」は18~19世紀のイギリスで始まった産業界の革命的動向の呼び名である。

ジョンソン率いる英国政府は、自動車の排ガス規制に関して「ガソリン車とディーゼル車の新規販売を将来的に禁止する」方針を打ち出している。しかも禁止のタイミングが2035年あるいは2030年というかなり近い将来の措置として検討されている。

2020年11月11日水曜日

インターフェース

別名:インターフェイス
別名:インタフェース
英語:interface

インターフェース(英:interface)とは、もともと「接点」や「境界面」を意味する語であり、特にコンピュータシステムにおいて異なる機器やシステムを接続する部分を指す用語として用いられる表現。人間と機械の接点となる入出力システムを指す場合もある(ユーザーインターフェースおよびマンマシンインタフェース)。

IT用語におけるインターフェースの意味

「インターフェース」は 日本語ではITの分野で用いられる機会が多く、IT用語として扱われやすい。基本的には、ハードウェア(コンピュータと各種デバイス)同士もしくはソフトウェア同士を接続する機器や規格をインターフェースという。

ハードウェアインターフェース

マウスやキーボードなどの入出力デバイスを接続する規格を「ハードウェアインターフェース」「接続インターフェース」「入出力インターフェース」などと呼ぶこともある。ハードウェアインターフェースにはコネクタや電気信号(通信プロトコル)などの要素からなる。

ソフトウェアインターフェース

コンピュータプログラミングの分野では、プログラム間のデータのやりとり(通信)方法に関する規格を「ソフトウェアインターフェース」と呼ぶ。他にも、コンピューターに周辺機器を接続するケーブルの形状や通信規格のことを入出力インターフェースと呼ぶこともある。

ユーザーインターフェース / マンマシンインターフェース

コンピュータシステム(つまり機械)同士の接点だけでなく、「人とコンピュータシステムの接点」についても「インターフェース」という表現を用いることがある。

「ユーザーインターフェース」は人間がコンピュータを操作する際に扱う(接点となる)環境を総称する表現である。「マンマシンインターフェース」はより広範に「人間と機械が情報のやりとりを行う手段・装置・仕組み」を総称する言葉である。

自尊心

「自尊心」とは、自分で自身のことを肯定することができ誰からも邪魔されることなく自分に存在価値があると感じることができる気持ちのことを意味する表現。

自尊心とは、自尊心の意味

自尊心とは、自分で自分のことを誇らしく思う心を意味する。簡単にいうと、自分への高評価ということである。英語で自尊心は self‐respect、あるいは self‐esteem と表現できる。自尊心とよく似た意味の言葉に「自己肯定感」や「プライド」がある。自己肯定感は厳密な定義だと、自尊心に含まれている感覚だといえる。自己肯定感は、あくまで自分に評価されることで、自分を大切だと思える心の動きである。それに対し、自尊心は自己肯定感と、自己有用感が合わさって生まれる。自己有用感とは、他人に評価されて自分を大事に思える感情である。すなわち、人は自己肯定感の先に、自尊心を抱けるという仕組みである。

プライドも正確な定義では、自尊心と同じ概念ではない。自尊心は多くの場合、自分で自分を正しく評価した結果として抱ける感情である。そこには、実績や能力といった裏付けがともなう。しかし、プライドは自我が肥大した末の、ネガティブになりかねない感情である。自尊心はほとんどの場合、歓迎されるものであるのに対し、プライドは人生において邪魔となることもある。

なお、自尊心を育んで一人前の人間へと近づく行為を「自尊心を高める」という。逆に、自尊心の低い人は、他人といて卑屈な態度を取ったり、危険行為への抵抗がなくなったりする。自尊心を高められるかどうかは、育ってきた環境によるところも大きい。ある程度成長してからでも、学校や職場などでめざましい成果を上げられれば、自尊心は高まっていく。

自尊心の類義語、対義語

自尊心の類義語として、「自信」「自我」「自負心」などが挙げられる。自信は「自分を信じる感情」を意味し、細かい点で自尊心と意味が異なる。自尊心が成果や実績によって育まれていく一方、自信は根拠を伴わないことも多い。また、「自信過剰」といった表現があるように、否定的な文脈で使われるケースもある。次に、自我とは、「自分で意識している自分自身のあり方」である。自分が抱く、すべての感情、感覚、思考、すべてが自我の一部である。そのため、あくまでも自己評価の部分だけに関連している、自尊心とは違う。

そして、自負心は、実績や技能によって自分を誇らしく思うという部分が自尊心と似ている。しかし、自負心とは「自分の能力に責任を持つ」というニュアンスを含む。自負心は、「自分を大切に思う」という文脈で使われる自尊心と、使い分けるべきである。

自尊心には対義語もある。「劣等感」「自虐」「卑屈」などは、自尊心と逆の意味を持つ。劣等感とは要するに、コンプレックスである。自分に自信を持てず、低評価をつけてしまう心である。次に、自虐は、自分で自分を悪く触れ回る行為、あるいは、そうした思考を意味する。そして、「卑屈」は過剰に自分を低く見せる状態である。卑屈な人は、自分を攻撃しながら、他人にも嫌味な態度をとっていることが多い。卑屈の原因には、自尊心の低さが潜んでいる。それゆえ、自尊心が高まれば、卑屈な態度も直っていく可能性はある。

自尊心が高い人、低い人

自尊心が高い人物は、自分の能力や現状をありのまま受け止めている。そのため、不平不満を口にする機会が少ない。また、他人に対してもおおむね寛容である。自分の価値を把握しているので、他人の言葉を素直に解釈できる。言葉尻をとらえて怒ったり、不要な批判をしたりすることが少ない。その結果、人間的な余裕にもつながっていく。

自尊心の高い人間はリーダー職、教育係に向いている。他人から信頼されやすく、年少者からの良き手本にもなれるからである。こうした立場について、自尊心の高い人は謙虚になることはあっても、卑屈にはならない。適切な責任を感じながら、与えられたタスクを果たしていく。また、自分を肯定できているので、ミスを犯しても必要以上に落ち込まない。切り替えの早さも、自尊心の高い人の特徴である。

一方、自尊心の低い人は他人にも自分にも、攻撃的な面を見せる。自尊心の低い人はプライドが肥大しやすく、それでいて能力に自信がないので、他人の言動に敏感である。相手が無意識に発した言葉にも、ネガティブな意味を見出してしまう。また、自分が自分を評価できないように、他人もそう思っているのだと信じ込みがちである。そうした心理状態が続くため、自尊心の低い人は相手の態度を素直に受け取れない。感謝や思いやりを示す頻度が低いので、決して人当たりがよくない人間へと育っていく。総じて、自尊心の低い人はいつでも不満を感じており、人間関係でトラブルを起こしやすい。

自尊心の例文、使い方

自尊心を使った文では「自尊心を傷つけられる」という表現が有名である。すなわち、誰かに自己評価を否定される状態である。多くの場合、他人からの批判が理不尽であったり、的外れであったりする。ただし、正当性のない批判であっても、日常的に続けば当人の自尊心はどんどん低くなっていく。幼児期に虐待を受けた人間が、成長してから人間関係を上手く築けなくなる現象は、自尊心を傷つけられているからだといえる。

「自尊心を持つ」という言葉は「自尊心を高める」に似ているものの、「もともとなかったものを意識的に抱く」というニュアンスを含む。精神的な領域において、「持つ」とは「強く意識する」ということである。つまり、自分で自分を高く評価できるよう、考え方を変える行為を指す。

「自尊心を高める」という表現を「自尊心を育てる」と言い換える場合もある。意味として、両者はほとんど同じである。「育てる」とは地道に続けていくとのイメージを持つ言葉である。「自尊心を育てる」とは、自尊心が低い状態から継続的に努力して少しずつ高めていくことを意味する。

「自尊心を満たす」は、他人の自尊心を意図的に刺激し、自己肯定感を高めてあげることである。そのため、自尊心を満たすための言葉、行為は本心からのものとは限らない。相手の心を都合よく掌握しようと、でまかせを繰り出しているだけの場合もある。

鬼門

鬼門とは、鬼門の意味

鬼門とは、日本で古くから忌み嫌われてきた方角のことで、十二支の方角では丑と寅の間、東西南北の方角では北東を指す。簡単にいうと、鬼門は物事をするのに避けたほうが良い方角を意味する。もともと、鬼門は中国に伝わる風水や陰陽道の思想のなかに登場する言葉である。風水や陰陽道の思想が中国から日本に伝わったことで、日本人の間でも鬼門という言葉が広く使われるようになった。日本では、鬼門と南西の裏鬼門を「鬼の通り道」と考え、何事をするにも避ける習慣があった。

あの世とこの世を行き来する鬼は災いをもたらす存在として恐れられてきたため、日本では家などの建物を建てるときにこれらの方角に玄関や窓などの出入り口を設けるのを避ける傾向がある。現代では、方角を指すときだけでなく自分にとって好ましくない人や事柄、苦手なものなどを表すときにも鬼門という表現が用いられる。「私にとってあそこの会社は鬼門だ」などは、ビジネスシーンでもしばしば使われることがある表現である。英語で鬼門を表すときは、どのような意味でこの言葉を使うかで表現を変えるのが一般的である。

欧米には、鬼門の考え方がない。そのため、欧米人に英語で鬼門を伝えるときには、その都度英語表現を選ぶ必要がある。「鬼の通り道」や「不吉な方角」などの意味で鬼門を表現するときは、「ghost gate」や「an unlucky quarter」、「an unlucky direction」などの表現を使うことが多い。また、好ましくない人や苦手なものなどを指して鬼門を英語で表現するときは、「a weakness」や「a weak point」などの表現が使われる。鬼門の方角を英語で表現する場合は、「he northeastern quarter」と表して北東であることを伝える場合が多い。

日本における鬼門の歴史

日本で鬼門という言葉が広く使われるようになったのは、風水や陰陽道の思想が中国からもたらされた平安時代頃と言われている。平安時代には京都を中心に陰陽道の思想が人々の間に浸透し、宮廷でも祭祀や呪術が盛んに行われるようになった。平安時代に陰陽道の宗家となったのが、安倍晴明などの著名な陰陽師を輩出した安倍氏や賀茂氏などである。この時代には、病気や天災などの災いは邪悪な鬼のしわざと考えられていた。鬼が出入りする鬼門や裏鬼門の方角は、病気などの災いを防ぐうえでも避けるべきものとして扱われてきた歴史がある。

当時の日本の宮廷では、鬼などの邪悪な存在が出入りできないように、京都の東西南北を囲んで結界を築いていた。武士が政治の実権を握る安土桃山時代頃になると、鬼門の扱いにも少し変化が見られるようになる。当時の武家の城では、鬼門や裏鬼門の方角にあえて厠などを設ける風習があった。このような武家の風習には、鬼による災いを恐れない武士としての気概や覚悟を見せる意味があったと言われている。明治時代以降は、鬼門の考え方を批判する書籍が出版され、鬼門の考え方は表向きは単なる迷信として扱われるようになる。

ただ、実際は、明治時代以降も鬼門や裏鬼門を「不吉な方角」とみなす人々が少なくなかった。陰陽道の思想と神仏習合思想が結びついた日本の家相の考え方では、現代でも鬼門や裏鬼門の方角を「忌み嫌うべきもの」として扱う傾向がある。

風水における鬼門の考え方

風水における鬼門の考え方は、日本の陰陽道の思想や家相の考え方とは大きく異なる。風水理論では、鬼門や裏鬼門を単に「運気が出入りする場所」として捉える習慣があり、日本の陰陽道の思想や家相の考え方のように「鬼の通り道」や「不吉な方角」と忌み嫌う習慣はない。したがって、風水で家の間取りを考えるときは、鬼門や裏鬼門を封じることはせず、運気がスムーズに出入りできるような対策を立てることが多い。「運気が出入りする場所」は気が不安定になりやすいことから、北東や南西の方角は常に清潔にしておくのが望ましいとされている。

風水では、汚れや乱雑な状態を邪気として嫌う習慣がある。「運気が出入りする場所」が汚れていたり、散らかっていたりすると、このような邪気の影響で悪い変化が起こりやすくなると考えられている。風水の鬼門は、中国の気候とも関係が深い。中国は、地形の影響で裏鬼門にあたる南西の方角から強い風が吹く傾向があった。強風によるさまざまな悪影響が懸念されることから、中国では南西の方角に出入り口などを設けるのは現実的でないと考えられてきた経緯がある。また、広大な中国大陸では複数の国が地続きの場所に混在していたため、古くから国と国が勢力争いの戦争をすることが珍しくなかった。

風水の理論が起こった頃の中国では、鬼門、裏鬼門の方角に当たる北東と南西に敵国があったと言われている。このような事情から、中国は古くから北東と南西の守りを万全に固めざるを得なかった。

風水の理論を意識した家の建て方

風水の理論を意識して家を建てる場合、鬼門や裏鬼門に玄関やトイレ、キッチン、バスルームなどの水回りのスペースを設けるのは良くないと考える人もいる。実際、鬼門や裏鬼門に玄関や水回りのスペースがあるという理由で、後にリフォーム工事をする人も少なくない。風水の専門家の間では、こういった工事は必ずしも必要ではないと考えられている。「運気が出入りする場所」である鬼門や裏鬼門は、整理整頓をして常に清潔な状態に保っていれば、「とくに大きな問題はない」というのが専門家の一般的な意見である。

実のところ、玄関やトイレ、キッチンなどが鬼門や裏鬼門にある場合でも、掃除が行き届いていて乱雑な状態でなければ悪い運気を呼ぶ可能性は低いと考える専門家が多い。ちなみに、運気の流れをスムーズにするうえでは、鬼門や裏鬼門の風通しを良くすることが重要と考えられている。悪い気が鬼門や裏鬼門から入り込むのを防ぎたいときは、浄化作用がある植物を置く方法などをアドバイスする専門家も少なくない。たとえば、オフィスの入口が建物の鬼門や裏鬼門に当たるときは、エントランスに観葉植物の鉢植えなどを置くと、悪い気が室内に入り込むのをブロックできると考える専門家もいる。

盛り塩も、鬼門や裏鬼門の対策でよく行われる方法のひとつである。精製していない粗塩は、強力な浄化作用があるとして風水の対策ではしばしば用いられる。風水では、このような塩を小皿に持って置いておくと、その場の空気が浄化されると考えられている。

エントロピー

エントロピーとは、エントロピーの意味

エントロピーとは、不可逆性や不規則性を含む、特殊な状態を表すときに用いられる概念である。簡単にいうと、「混沌」を意味する。もともとは熱力学において、エントロピーという言葉は使われ始めた。すべての熱をともなう物体は、「高い方から低い方へと流れる」という方向性を持っている。しかし、逆に、低い方から高い方には流れない。逆の現象は起こらないので、「エントロピーが発生している」と表現することとなる。ただ、統計力学や情報理論におけるエントロピーは、熱力学とは微妙に異なる意味合いで用いられている場面が多い。

統計力学では、所得格差を指し示すときにエントロピーが登場する。格差状態のない経済は「0」となり、格差が無秩序に広がっている場合は「エントロピーが大きい」と表現される。一方、情報理論の分野で、エントロピーは物事の可能性を示す指標として認識されてきた。可能性の低かった出来事が起こると、「情報エントロピーが大きくなる」などといわれる。

なお、エントロピーと似た言葉に「エンタルピー」がある。エントロピーとエンタルピーの違いを挙げるとすれば、エントロピーはあくまで、物事の方向性についての概念だという点である。そして、「どれだけ外部に対し、活発に働きかけるか」という概念がエンタルピーとなる。ある物体の熱が冷たい物体に伝わるとき、「エンタルピーが高い」と表現される。ただ、熱の伝わり方が分散していれば、「エントロピーが発生している」といわれる。

熱力学におけるエントロピー

熱力学において、熱は必ず温度の高いものから低いものへと伝わっていく。たとえば、熱くなった鉄に氷を乗せれば、氷が溶けるのは自明の理である。その逆はないので、熱の移動は「不可逆性をともなう現象」と定義される。この不可逆性がどれだけ強いのかを、数値で表すために発見された概念がエントロピーである。エントロピーは熱と内部エネルギー、行われる仕事を関数で表す。エントロピーが高くなればなるほど、「不可逆性が強い」ということである。ちなみに、可逆性のある現象については、エントロピーが「0」とされる。エントロピーがマイナスになることはない。

エントロピー増大の法則

熱力学で頻繁に用いられる理論が、「エントロピー増大の法則」である。エントロピーは、物質が存在し続ける限り増大し続ける。外部から何らかの働きかけをしてやらない限り、エントロピーが減少することはない。言い換えれば、物事は秩序から始まり、自然に無秩序へと向かう可能性はあっても、さらなる秩序を目指しはしない。前述の、鉄と氷の関係でいえば、熱い鉄はずっと氷を溶かし続ける。仮に、氷が溶けなくなったとすれば、誰かが意図的に鉄を冷やした場合だけである。現象を放置している限り、鉄と氷の間にあるエントロピーは増大する。

ちなみに、鉄で溶けた氷は蒸気になってしまっているので、そこから再び氷の形を取り戻するのは難しい。この状態で、熱力学に基づいてエントロピーを計算すれば、数値が高くなる。一方、水がお湯になった程度の現象では、エントロピーは比較的低いと考えられる。

統計力学におけるエントロピー

統計力学の分野でも、熱力学の応用でエントロピー増大の法則は用いられてきた。そもそも統計力学とは、ある現象における法則性の有無を解明しようという学問である。ただ、現象によっては明確な法則性を含んでおらず、混沌にしか見えないことも少なくない。こうした混沌性、不規則性を数値で表すために応用されたのが、熱力学のエントロピーである。そして、統計力学のエントロピーと大きく関係しているのが「小正準集団」である。統計データをグラフにしたとき、関知しにくいほど小さい集団が小正準集団である。小正準集団の多いグラフほど、その混沌性は高い。

そして小正準集団の状態数から、はっきりと確認できる力学の潜在値を導き出す方法が「ボルツマンの公式」となる。原則的に、小正準集団が多くなれば、それだけエントロピーの値も大きくなると考えてよい。

また、統計力学にも「エントロピー増大の法則」は存在する。統計力学でもエントロピー増大の法則を応用できると証明する場合、よく使われるのが「気体の例」である。箱の中に気体を入れ、真ん中を板で仕切ったとする。このとき、右半分と左半分に気体が入っているのは明確である。すなわち、エントロピーの値も低くなる。しかし、板を取り外せば、「まだ右の気体と左の気体は変わらない」と言い切れなくなるのでエントロピーの値は高い。この例を考えれば、統計力学においても、現象を放置したほうがエントロピーは増大しやすいといえる。

情報理論におけるエントロピー

情報理論におけるエントロピーは、確率変数に含まれる情報量を表す指標であり、クロード・シャノンによって発見された。確率変数がさまざまな数値になれる状態だと、それだけ情報量も広がりを見せる。つまり、その場合の情報量は確率変数に含まれている不規則性を定義するといえる。ただし、シャノンの研究では、熱力学としてのエントロピー理論が情報理論の分野でも完全に応用できるのか、不透明なままだった。この点は後世の研究者たちの手によって解決されていくこととなる。

情報理論とエントロピーの相性が非常によかったのは、「特殊な現象には大きな力が働いている」という観点が共通していたからである。たとえば、大量のデータをコンピュータで処理しようとすれば、当然、かかる時間は遅くなる。少量のデータを処理するケースの方が速い。すなわち、情報量が多いときほど、混沌性が発生しやすいのだといえる。こうした現象を数値化していくために、エントロピーは用いられてきた。

おおまかな解釈として、情報理論のエントロピーは「分からない部分の大きさ」を示している。分からない部分が多いほど、情報量は大きくなる可能性を秘めている。一方、分からない部分が少ない情報量は、大きくなる可能性が切り捨てられてしまっている。なお、ある出来事自体に含まれている情報量を「自己エントロピー」と呼ぶのに対し、平均情報量は単に「エントロピー」といわれることが多い。

2020年11月5日木曜日

ゼブラ企業

読み方:ゼブラきぎょう
別名:シマウマ企業

ゼブラ企業とは、いわゆる「ユニコーン企業」至上主義へのアンチテーゼとして提唱された、共存共栄・相利共生に価値を見出す企業のあり方・経営スタイルのことである。アンチ・ユニコーン企業。

いわゆる「ユニコーン企業」は、「評価額10億ドル以上の新興企業(未上場スタートアップ企業)」と定義される用語である。革新的な技術やビジネスモデルによって急激に成長し、事業価値を短期間で数十倍にも成長させる。投資家はとてつもないリターン(利益)が見込める。その存在があまりに稀有であるということで幻獣ユニコーンに喩えられれている。

ユニコーン企業のあり方は、久しく「スタートアップ企業の理想像」のようり捉えられてきたが、その理念は「市場の覇権を握る」ような考え方である。同業他社のパイを奪って成長する競争社会であり、その成長にはゴールがない。そして利益は株主を筆頭とする限られた人々にしか配分されない。

ゼブラ企業は、持続可能な(ほどほどの)繁栄と、他社との共存を重視する。市場独占・自社一強を目標にはせず、自社の成長よりもむしろ「よりよい社会の形成」に寄与することを重視すらする。

ゼブラ(シマウマ)は現実にいる、ありふれた動物である。仲間と群をなして生きる。

「ゼブラ企業」という概念・理念・ムーブメントは2010年代後半に米国で生まれた。提唱者は Zebras Unite として啓蒙その他の活動を続けている。

関連サイト:
Zebras Unite Co-Op

2020年11月4日水曜日

プルダウン

英語:pull down

プルダウン(pull down)とは、「引き下げる」「下に引く」という動作を意味する英語表現であり、日本語の中では主に「コンピュータ上でメニュー(操作の選択肢)を表示する方式」の呼び名として用いられる表現です。

プルダウンは、英語では pull down と表記します。pull は動詞(他動詞)で down は副詞です。英語の文章では、基本的には、他動詞と副詞の間に目的語を挟み、「pull the shades down」(日よけを下ろす)のような形で叙述されます。ただし、「pull down the curtain」(幕を下ろす=終幕)のように pull と down の間に目的語を挟まない言い方もあります。

コンピュータの表示における「プルダウン」は「プルダウンメニュー」もしくは「プルダウン方式」といった言い方で用いられます。「ドロップダウン(-メニュー)」ともいいます。英語圏でもプルダウンメニューは pull-down menu といいますが、drop-down menu の方が一般的かもしれません。

「プルダウンメニュー」をクリックすると、複数の項目(選択肢)の一覧(リスト)が下方向に垂れ下がるようにして表示されます。普段は一覧は非表示にできるため、画面表示の省スペース化に貢献します。

プルダウンという表現は、コンピュータ上のメニューの方式を指す呼び名の他には、「プルダウン抵抗」(pull-down resistor)という名称の中で用いられることがあります。プルダウン抵抗は電子回路を構成する抵抗の一種で、入力がオフの状態に電圧をLowレベルで維持するための要素です。

プルダウンの対義語としては「プルアップ」(pull up)が該当します。英語では「引き上げる」「引き抜く」といった意味があります。電子回路の分野では、プルダウン抵抗と正反対の性質および用途をもつ抵抗を「プルアップ抵抗」といいます。

コンピュータのメニューの表示方式においては、メニューが上方向に突き出るようにして表示される方式が「プルアップメニュー」と呼ばれます。プルダウンメニューは状況に応じてプルアップメニューに切り替えられる場合が多く、画面のプルダウンメニューのある位置より下にメニューを表示できる領域が足りないような場合は、メニューの一覧が上側に伸びる形で(プルアップ方式で)表示されます。