2012年6月26日火曜日

サラエボ事件

読み方:サラエボじけん
別名:サライェヴォ事件
別名:サラエヴォ
別名:サラェボ事件

1914年、オーストリア皇太子夫妻が、当事オーストリア(オーストリアハンガリー帝国)に併合されていたボスニア・ヘルツェゴビナの都市サラエボで殺害された事件。第一次世界大戦の引き金となったことで知られている。

オーストリア皇太子はオーストリア大公カール・ルートヴィヒの子息で、オーストリアの帝位継承者だった。ボスニア・ヘルツェゴビナは各国の勢力争いの場となった上に、オーストリアに支配されるなどの経緯を経て、汎スラヴ主義や大セルビアといった民族主義思想が高まっていたという背景がある。


サラエボ事件を受けてオーストリア側はセルビアに宣戦布告し、そのまま交戦状態に突入した。実行犯となった青年は獄死している。