2013年11月20日水曜日

宮沢・レーン事件

読み方:みやざわレーンじけん
別名:宮澤・レーン事件
別名:レーン・宮沢事件
別名:レーン・宮澤事件
別名:宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件

1941年の日米開戦直後に、日本人学生と米国人夫妻が特高警察に逮捕され、それぞれ懲役12年から15年の刑を受けた事件。逮捕に至った容疑は「軍機保護法違反」、すなわちスパイ容疑であった。2013年11月現在、この事件は冤罪であったという見方が大勢を占めている。

この事件で逮捕されたのは、当時北海道大学の学生であった宮沢弘幸と、同大学の講師であったアメリカ人のハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻である。宮沢弘幸およびレーン夫妻は一貫して無罪を主張したが、取り調べの過程では、特高警察により激しい拷問が行われたといわれている。宮沢氏は懲役15年が確定して網走刑務所に送られ、終戦後に釈放されたが、服役時の栄養失調を原因として肺結核に罹患し、1947年に27歳で死亡している。レーン夫妻は夫が懲役15年、妻が懲役12年の判決を受け、1942年から苗穂刑務所で服役していたが、翌年9月の交換船で日本人捕虜と引き換えに、本国に強制送還された。夫妻は戦後の1951年に再来日し、夫のハロルド・レーンは北海道大学の講師として復帰したが、夫は1963年、妻は1966年に死亡している。

軍機保護法では「軍事上の秘密を探知し又は収集したる者は6月以上10年以下の懲役」と定められていたが、宮沢弘幸が逮捕された原因となった、「探知」された「秘密」の内容は長らく明らかにされてこなかった。1980年代後半に弁護士の上田誠吉がこの事件について調査を行い、「秘密」の内容が千島・樺太旅行の単なる見聞であったことや、漏洩した「秘密」の一つとされた根室飛行場の存在が、当時公知のものであったことなどが明らかにされている。

2013年11月現在、宮沢・レーン事件は、国会で審議されている特定秘密保護法案の成立に反対する人々によって言及される例が多い。反対派の人々は、軍機保護法における「秘密」の適用対象が拡大したことが宮沢・レーン事件のような冤罪事件を引き起こしたとするとともに、特定秘密保護法案と軍機保護法の類似性を指摘し、特定秘密保護法にもそのような拡大解釈を起こす余地があると批判している。