2014年3月4日火曜日

クリミア戦争

読み方:クリミアせんそう
読み方:クリム戦争
英語:Crimean War

19世紀半ば、クリミア半島などを主戦場として行われた、トルコ(オスマン帝国)・イギリス・フランス・サルディニアの連合軍と帝政ロシアとの戦争。激戦で知られる。セヴァストポリの戦いで露軍の陥落、ロシアの敗北をもって決着した。

クリミア戦争は、極めて大雑把に言ってしまえば、不凍港の獲得と版図の拡大を目指し南進するロシアと、衰退しつつあった巨大帝国オスマン・トルコとの激突であった。ロシアの拡大・強化を阻止したいイギリスやフランスがトルコ側について連合軍を結成した。戦場はクリミア半島を中心に黒海北岸などにも及んだ。

クリミア戦争はやがてロシア軍の主力艦隊である「黒海艦隊」の拠点がある要塞都市セヴァストポリに集中した。攻防戦は長期にわたり、両軍におびただしい死者が出た。死者の数は両軍各10万を超え、総勢20万人が命を落としたとも言われている。他方、ナイチンゲールが戦地で看護にあたり衛生状況の劇的改善と負傷者の死亡率を大幅引き下げを実現し、後世の看護の在り方に影響を与えた。

クリミア半島は18世紀後半の時点でロシア帝国領となっており、クリミア戦争の発生時も、その終結後も、ロシア帝国領であった。ソビエト連邦の成立後はソ連領となった。半島の要衝セヴァストポリは第二次世界大戦における独ソ戦の戦場にもなっている。