2014年3月4日火曜日

ユーロマイダン

別名:欧州広場
別名:ユーロ広場
別名:独立広場
英語:Euromaidan

ウクライナの首都キエフの中央部に位置する広場。2013年から2014年初頭にかけて加熱した反政府活動の中心地であり、同活動を象徴するキーワードにもなっている。大規模な反政府デモを指す場合も多い。

ユーロマイダンは、かつて「独立広場」と呼ばれた。独立広場は2004年のオレンジ革命をはじめ、しばしばウクライナにおける市民運動の中心地となっている。

2013年半ば、ウクライナ第4代大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチの政治に不満を抱く市民が同広場へ集結し、ヤヌコーヴィチの退陣を訴えるデモ活動が活発化した。直接のきっかけは、ウクライナの欧州連合(EU)加盟に向けた連合協定の動きを、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が締結目前で凍結したことだとされている。ヤヌコーヴィチは親露派として知られており、協定凍結はロシアからの圧力を受けたのではとする見方もある。ユーロマイダンのデモ参加者は、EU加盟や大統領の辞任などを訴えてキエフの独立広場など各地に集結した。その数は多い時にはキエフ市内だけでも数十万人規模に達したとされる。2013年暮れ頃からこの抗議運動はしばしばユーロマイダンの名と共に報じられるようになったという。

ユーロマイダンは当初は平和的活動として行われたが、政府がデモ参加者への処罰や、「デモ規制強化法」の可決などの強硬な対応を見せたことで、徐々に熱を帯びていった。デモ隊の一部が過激化し、司法省や各都市の市庁舎を占拠した。治安部隊がデモ隊の鎮圧に乗り出して衝突するようになり、2014年1月にはデモ隊側に初の死者が出た。翌2月18日には火器も使用され、警官も含めて数十名の死傷者、千人規模の負傷者を出す大規模な衝突が起こった。

2014年1月に、政府は野党に対して、野党指導者を首相に任命することなどを含む妥協案を示したが、野党は妥協案が不十分だとする意向を発表していた。

2014年2月の衝突を契機にヤヌコーヴィチ政権の高官は相次いで国外へ脱出、その間に野党勢力に政権を奪取され、ヤヌコーヴィチ政権は事実上の崩壊を迎えた。2014年5月に実施される大統領選までの間は暫定政府を立てると発表され、アルセニー・ヤツェニュクが暫定首相に就任した。

関連サイト:
「私は死にかかっている」、ウクライナのデモ支援者がツイート - AFPBBニュース 2014年2月21日