政治思想について、どちらかといえば左派・左翼に位置づけられる考え方に寄っているさまを指す言い方。自らの思想が左翼的な見解に寄っているという明確な自覚があるわけではなく、ましてや表だって左翼的な活動を展開するわけでもないが、保守的な右派よりも進歩的な左派の方に共感しやすい考え方の人、といった意味合いで用いられている。
心情左派の具体的なあり方については、渡邊太が自著の書評へ応えて寄せた文章の中で述べている次の一文が参考にできよう。
わたしの社会運動とのかかわりでいうと、幸か不幸か(?)学生運動にはコミットしない大学生活を営み、マルクスやレーニンもいちおうは読む程度の心情左派にすぎず、(以下略)
― 社会学研究会「ソシオロジ」Vol. 57 (2012-2013) No. 3 通巻 176号 p. 149-156
当該のくだりから、心情左派は、左寄りの思想に心情的に共感・共鳴するが、積極的に関与(コミット)するには至らない、といった情況を指すことが推察される。ちなみに、「心情」は、「三省堂大辞林 第三版」によれば、「心の中で思っていること。こころの状態。」である。