「感銘を受ける」の意味、表記、成り立ち
感銘を受ける(かんめいをうける)とは、心に深く刻まれるような強い感動を抱くことを意味する慣用的な表現。「感銘」は「肝銘」とも表記する。ただし、現代では「感銘」と書くことが普通である。「感」は心が動くこと、「銘」は心に刻むことの意で、「感銘」は物事に触れて心が動き、その気持ちが心に刻まれることを意味する。また、「肝銘」の「肝」は心を意味する。
「感銘を受ける」の使い方
「感銘を受ける」は、文章や改まった会話で用いる、やや硬い表現である。「感銘を受ける」は、慣用句というほど熟してはおらず、コロケーションであると解される。したがって、「感銘を深く受ける」のような部分修飾や、「感銘をお受けになる」のような敬語化も可能である。
「感銘を受ける」は、「~に」に、その感銘を生じさせる物事をとる(例文、「教師の言葉に感銘を受ける」)。この、感銘を生じさせる物事は、他者の言動や思想、小説や絵画などの作品であることが多く、自分自身の行為や、自然の風景などに心を動かされる場合には、「感銘を受ける」は用いにくい。
「感銘を受ける」の言い換え
「感銘を受ける」と言い換えられる表現として、「感銘」のコロケーションでは、「感銘を覚える」「感銘を味わう」などが挙げられる。「感銘を受ける」は、心を動かす物事からの強い働きかけが感じられるのに対し、「感銘を覚える」は自然とそうなるという感じが、「感銘を味わう」はしみじみとそう感じるという意味合いがある。また、感銘を受ける意で単に「感銘する」とも言う。この他、「感銘を受ける」と言い換えうる表現には、「感銘」の類義語(類語)である「感動」「感激」を用いた「感動する」「感激する」、また「琴線に触れる」などがある。
「感動」と「感銘」の違いには以下のようなものがある。第一に、「感動」は「感銘」よりも日常語的であり、口頭でも普通に用いられる。第二に、「感銘」は後々まで覚えているような感情をいうのに対し、「感動」は一時的な心の動きをいう。第三に、「感動」は自然の風景などに心を動かされたときにも用いられる一方、「感銘」はそのような場合には用いにくい。
「感激する」は、「病気が治ったことに感激する」のように、自分自身の身に起こったことにも用いることができるが、「感銘を受ける」は自分自身の身に起こったことには用いにくい。また、「感激する」には、自らの気持ちが奮い立つというニュアンスがあるが、「肝銘を受ける」にはそのような積極的な感じはない。
「琴線に触れる」は、物事に感銘を受ける気持ちを、物事が弦楽器の糸に触れる様子にたとえた表現であり、「感銘を受ける」と違ってその物事を「~に」にではなく「~が」にとる(例文、「詩の言葉が心の琴線に触れた」)。
この他に、「感銘を受ける」と言い換えうる表現には「心を打たれる」「胸を打たれる」「胸に響く」などが、「感銘」の類義語(類語)には「感慨」「感心」「感嘆」などがある。
また、「感銘を受ける」と似た形の表現に「共感を受ける」があり、「曲の歌詞に共感を受けました」のように、「共感する」の意で「感銘を受ける」と同様の使い方で用いられることがある。しかし、「共感を受ける」は通常、「~が共感を受ける」の形で、共感を得られる意で用いられるものである(例文、「党の方針が国民の共感を受けている」)。
「感銘を受ける」と対になる表現
「感銘を受ける」に対し、他者に深い感動を及ぼすことをいう表現に「感銘を与える」「感銘をもたらす」などがある。「感銘を受ける」の英語での表現
「~に感銘を受ける」は、英語ではbe impressed with ~、be impressed by ~、be moved by ~、be touched by ~などと訳すことができる。「感銘を受ける」の例文
- 先生の言葉に心から感銘を受けた
- 彼女の作品に感銘を受けたことが契機となった
- これまでに最も深い感銘を受けた本は司馬遼太郎の「坂の上の雲」です
- 〔就活における履歴書の志望動機で〕御社の企業理念に感銘を受けて志望しました
(執筆:稲川智樹)