2023年2月8日水曜日

塞翁が馬

読み方:さいおうがうま

「塞翁が馬」とは、「人生、何がきっかけで幸・不幸になるか分からないものだ」「幸福が不幸を招いたり、不幸な出来事がきっかけで幸福になったりする」という意味の故事成語である。これは「軽率に眼前の幸・不幸に一喜一憂するべからず」という教訓としても捉えられる。

「塞翁が馬」は「人間万事塞翁が馬」ともいう。中国語では「塞翁失馬」「塞上的馬」「塞馬」ともいう。

「塞翁が馬」は、前漢の書物「淮南子(えなんじ)」第18巻「人間訓(じんかんくん)」 に記されたエピソードの呼び名である。

「塞翁が馬」は(原典に記された言葉ではなく)当該エピソードを指す便宜的な呼び名であり、そのため呼び方にも揺れが生じているわけである。

「塞翁が馬」の由来となったエピソード

「塞翁が馬」は、文字通り「塞翁という老人が所有する馬」のことである。塞翁は北方の砦に住む老翁の呼び名である。

あるとき、塞翁は、大切にしていた馬に逃げられてしまった。周りの人々は翁に同情し、「とんだ災難に遭ったものだ」と慰めた。しかし当の塞翁は「これは幸運だ」という。
しかる後、あの逃げた馬は、別の駿馬を引き連れて家に戻ってきたのであった。周りの人々は「なんという幸運に恵まれたものだ」と祝意を示したが、当の翁は「これは災難かもしれない」という。
然して、逃げた馬が連れ帰ってきた別の駿馬は、塞翁の愛息子を振り落としてしまった。落馬した息子は足を負傷してしまった。この災難に周りの人々は翁に同情した。しかし当の塞翁は「これは僥倖かもしれない」という。現代でいう逆張りがとにかく好きな爺である。
その後、戦争が起き、周りの若い衆はことごとく徴兵されたが、塞翁の息子は足を負傷していたため徴兵を免れ、戦地で命を散らす憂き目からも免れた。

要するに「塞翁が馬」の話は、不幸は幸福を呼ぶこともあり、幸福が不幸を招くこともある、眼の前の出来事に一喜一憂しても仕方ない、幸不幸は誰にも予測できない、ということを教える一種の寓話なのである。

塞翁が馬の類語・類似表現

塞翁が馬と似た意味を持つ格言に、「禍福は糾える縄の如し」や「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」などがある。

「禍福は糾える縄の如し」は、人間が遭遇する幸不幸は縄のように表裏一体に絡み合っており、交互に巡ってくることを表現している。この言葉にも、「塞翁が馬」と同じく、幸せだと思っていたことが不幸の元になったり、不幸が幸せを呼んだりするという意味がある。「禍福は糾える縄の如し」は、司馬遷が編纂した歴史書の「史記」から引用された言葉である。

「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」は、人生を川の流れにたとえて浮き沈みがあることを表している。「生きている間には良いときと悪いときがあり、いずれも長くは続かないから思い悩む必要はない」というのが、この言葉の一般的な意味である。

英語で「塞翁が馬」に似ているのが、「Joy and sorrow are today and tomorrow」である。「今日の喜びは明日の悲しみになる」と訳されることが多いこの言葉は、「塞翁が馬」と同様に人生がどう転ぶかはわからないことを表現している。

塞翁が馬の使い方

実生活で「塞翁が馬」が使われるのは、概して悪い事態に遭遇したときが多い。たとえば、入学試験に落ちた学生に「人間万事塞翁が馬だよ」と言うときは、相手の心情を励ます気持ちが込められている。実際、受験した学校に落ちたことがきっかけで別な進路が開けたり、素晴らしい友達と出会えたりする幸運が訪れる可能性がある。不合格という災難をポジティブに捉えられるように発想の転換を促すのが、このようなケースだ。

また、失恋をした人を慰めるときにも「塞翁が馬」を使うことがあるかもしれない。このような場合、相手に振られたことでより理想に近い相手に巡り合えたり、不幸な結婚をせずに済んだりする可能性がでてくる。

このように、日常生活では、主に「災難が幸運につながるきっかけになる」ということを伝える目的で、「塞翁が馬」という格言が使用されている。