2020年3月27日金曜日

塞翁が馬

読み方:さいおうがうま

塞翁が馬とは、塞翁が馬の意味

塞翁が馬とは、人生の幸不幸は簡単に予測できないという格言のこと。不幸だと思っていたことが実は幸運につながったり、幸運だと思っていたことが後に不幸につながったりするように、人間が遭遇する出来事はその時点で幸か不幸かが予測しにくい。したがって、「塞翁が馬」は、「自分が遭遇した幸不幸の出来事に一喜一憂する必要はない」ということを教えている。

塞翁が馬のエピソード、語源

「人間万事塞翁が馬」とも表現されるこの言葉は、「准南子」の18巻である「人間訓」から引用された言葉である。「准南子」は、前漢の時代に准南王の劉安の指示によって編纂された古典である。漢文で書かれたこの思想書には、中国の老荘思想をベースにした生きるための知恵や考え方がまとめられている。

塞翁が馬は、「人間訓」に記されたひとつの故事が語源になっている。このエピソードの主人公が、北方の砦に住む老人の塞翁である。塞翁は、自分が飼っていた馬が逃げてしまうという災難に見舞われる。このときに周囲の人は、塞翁を「とんだ災難にあった」と慰めた。しかしながら、塞翁自身は「これは幸運だ」と言って取り合わない。逃げた馬は、のちに駿馬と一緒に再び家に帰ってきた。周囲の人は塞翁にお祝いを伝えに行くが、彼は「これは災難だ」と答えた。塞翁の言葉通り、彼の息子が駿馬から落ちて足の骨を折るという災難が起こる。周囲の人が見舞いに行ったときに、塞翁は「これは幸運だ」と答えた。

後に戦争が起きて地域の若者は徴兵されたが、彼の息子は足の骨を折っていたため、戦争に行かずに生きながらえることができた。「塞翁が馬」は、このように巡り廻る運命の不思議さを題材にしたストーリーが元になっている。この言葉には、「人間が予測できることには限界があり、一時的な出来事に振り回されるのは愚かなことだ」などのメッセージが込められている。

塞翁が馬の類語、英語

塞翁が馬と似た意味を持つ格言に、「禍福は糾える縄の如し」や「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」などがある。「禍福は糾える縄の如し」は、人間が遭遇する幸不幸は縄のように表裏一体に絡み合っており、交互に巡ってくることを表現している。この言葉にも、「塞翁が馬」と同じく、幸せだと思っていたことが不幸の元になったり、不幸が幸せを呼んだりするという意味がある。「禍福は糾える縄の如し」は、司馬遷が編纂した歴史書の「史記」から引用された言葉である。

「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」は、人生を川の流れにたとえて浮き沈みがあることを表している。「生きている間には良いときと悪いときがあり、いずれも長くは続かないから思い悩む必要はない」というのが、この言葉の一般的な意味である。

英語で「塞翁が馬」に似ているのが、「Joy and sorrow are today and tomorrow」である。「今日の喜びは明日の悲しみになる」と訳されることが多いこの言葉は、「塞翁が馬」と同様に人生がどう転ぶかわからないことを表現している。

塞翁が馬の使い方

実生活で「塞翁が馬」が使われるのは、概して悪い事態に遭遇したときが多い。たとえば、入学試験に落ちた学生に「人間万事塞翁が馬だよ」と言うときは、相手の心情を励ます気持ちが込められている。実際、受験した学校に落ちたことがきっかけで別な進路が開けたり、素晴らしい友達と出会えたりする幸運が訪れる可能性がある。不合格という災難をポジティブに捉えられるように発想の転換を促すのが、このようなケースだ。

また、失恋をした人を慰めるときにも「塞翁が馬」を使うことがあるかもしれない。このような場合、相手に振られたことでより理想に近い相手に巡り合えたり、不幸な結婚をせずに済んだりする可能性がでてくる。

このように、日常生活では、主に「災難が幸運につながるきっかけになる」ということを伝える目的で、「塞翁が馬」という格言が使用されている。