2020年3月27日金曜日

ノーサイド

英語:no side

ノーサイドとは、ノーサイドの意味

ノーサイド(no side)とは、ラグビーで試合が終了した状態のこと。ラグビーの試合が終わり、敵味方の区別(side)がなくなる(no)ことから来ている。ここから転じ、両者の戦いが終わった後、互いの活躍を労う意味や、諍いを起こしていた2者が和解する意味でこの語が比喩的に使用されることがある。ラグビーの試合という文脈で用いる場合は「南高校ラグビー部は、後半4分に西島のトライで得たリードを守りきったまま、ノーサイドを迎えた」、比喩的に用いる場合は「原告側と被告側の主張は平行線を辿る一方であり、いつノーサイドが訪れるかはわからない」という使い方をする。

ラグビーの試合が終了した場合、レフェリー(主審)は「ノーサイド」と宣言して笛を吹く。ただし、英語圏ではno sideの宣言は1970年頃の使用例を最後に廃れており、以降はfull timeの語がラグビーの試合終了の意で用いられている。2020年現在、no sideを試合終了の意で用いるのは日本だけである。国際試合においても、審判が試合終了を告げる笛を吹く際にノーサイドの宣言を伴うことはなく、試合の観戦記事や実況などで用いられるのみである。

ノーサイドの起源

ノーサイドの語が使われるはっきりとした起源については記録が存在しないが、最初にこの語が使われたのは、ラグビーが誕生した頃と同時期であると言われている。1857年に出版された「トム・ブラウンの学生生活」では、ラグビー校のフットボールの試合で試合終了時に審判がno sideと宣言した、という記述が存在する。ラグビー発祥の地であるイギリスでは、フットボールの試合が終わった後に両チームのメンバー全員が酒宴を開いて互いの健闘を称える「アフターマッチファンクション」という文化があり、試合が終わった後は敵味方の区別が取り払われるという観念は黎明期から存在していた。no sideの語もこうした観念を下敷きに誕生したとされている。

日本におけるノーサイドの使われ方

日本にラグビーが伝わったのは明治時代であり、ノーサイドの語もその際に伝わった。その際、ラグビーは、剣道や柔道などの日本固有の武道と同様、精神性を重んじるスポーツであると解釈された。1952年にラグビー日本代表の主将を務めた新島清は、ラグビー選手に必要な4つの思想として、「自己犠牲の精神」「ノーサイド精神」「レフェリー絶対の精神」「アマチュア精神」を挙げている。こうした経緯から、ノーサイドの語は日本においてラグビーの精神性に深く関わるものとして定着した。

海外ではno sideの語は使用されず、試合終了を指す語としてはfull timeが使用される。no sideは和製英語であるという説も唱えられ、その説によれば、海外でラグビーを視察した際にアフターマッチファンクションの文化に触れた日本人が、試合終了と共に敵味方の区別が取り払われる概念を端的に言い表すために作った語であるとされている。ただし、英語圏でもかつてno sideが使用されていたことは事実であり、イギリスのスポーツ専門チャンネルESPNの公式サイト上の説明では、no sideの語について「試合の終了を意味する古い言い方。『full time』と言い換えられている」と解説されているため、和製英語説はほぼ否定されている。

「ノーサイド精神」は、「試合終了のホイッスルが鳴れば全員敵味方や所属チームといった互いの違いを忘れるべき」という精神を指す。この精神はラグビーのプロスポーツ化が進んで以降も重要視されており、観客席をチーム別に分けないなどの施策に表れているほか、選手同士が互いの健闘を称え合って握手をする、花道を互いに作るなどの習慣は全世界共通で見られるものである。また、この精神性が世の中に広まった結果、ラグビーの文脈に限らず、一般的に対立する2者が円満に和解するという意味でも用いられるようになった。