2014年1月29日水曜日

わが闘争

読み方:わがとうそう
別名:我が闘争
別名:マインカンプ
別名:Mein Kampf

1925年から1926年にかけて出版された、ドイツのナチス党指導者、アドルフ・ヒトラーの著作。全2巻からなり、第1巻では主にヒトラー自身の半生が自叙伝的に書かれており、第2巻では主に群集心理や煽動に関する実践的内容や、ヒトラーの歴史観、人種観などについての内容が書かれている。

「わが闘争」は、アドルフ・ヒトラーが1923年のミュンヘン一揆で逮捕された後、獄中で執筆した本である。「わが闘争」の内容は、のちのナチスの政策を暗示するものだと捉えられている。

ヒトラーは「わが闘争」の中で、文化に対する影響を基にして人種を3つのランクに分け、一流として唯一「文化を創造できる」アーリア民族を、二流として日本人を含むその他大多数の民族を置いた。そして、最低のランクに「文化を破壊する」としてユダヤ人を置き、その排斥、根絶が必要であると主張した。この主張は、のちのナチスの政策に実際に反映されることとなった。

また、「わが闘争」では初めて、ヒトラーの「東方生存圏の獲得」という理想が示された。これは、ドイツ民族がスラブ民族を奴隷化するとともに東方に領土を拡大し、「大ゲルマン帝国」を建設するべきとする考えであり、のちのナチスによるポーランド侵攻や独ソ戦に繋がったと考えられている。

ナチスが政権を掌握すると、「わが闘争」はナチス党支持者の間でバイブルとしての位置を占めた。ナチス政権の崩壊までに、約1000万部が出版されたとされている。「わが闘争」は、ネオナチなどによる政治的宣伝に用いられるおそれがあることから、戦後ドイツ国内での出版は法律で禁止され、長らく「禁書」として扱われてきた。

2015年末に「わが闘争」の著作権が失効するにあたって、著作権を保持するバイエルン州が出版を解禁するかどうかが注目されてきた。2013年12月にバイエルン州政府は、本の内容やナチスの犠牲者に対する配慮を理由に、出版禁止の方針を継続し、出版社には民衆煽動罪による法的措置も辞さないとする意向を示した。しかしその1か月後に、バイエルン州政府はそれまでの方針を一転し、学術的な注釈を付けることを条件として「わが闘争」の出版を認める意向を示した。