2013年12月19日木曜日

イッセン・ハブレ

別名:ハブレ大統領
別名:ハブレ元大統領
英語:Hissène Habré

1942年生まれのチャドの軍人、政治家。1982年から1990年にわたって、チャドの第6代大統領として独裁政治体制を敷いた。反対派に対する残虐行為で知られており、「アフリカのピノチェト」の異名もある。

イッセン・ハブレは大統領就任以前から、同じ反政府組織に属していたグクーニ・ウェディと対立しており、1980年にはハブレ派とグクーニ派の内戦が勃発した。グクーニ派がチャド北部を拠点とし、リビアのカダフィ政権の支持を得たのに対して、ハブレ氏が率いる政府軍は、カダフィ政権と敵対関係にあったフランスおよび米国の支援を受けた。内戦は1980年代後半まで続いたが、1990年にイドリス・デビのクーデターでハブレ氏が追放されたことにより、一旦終結した。

イッセン・ハブレは大統領時代に、秘密警察組織とされる「文書管理・保安局(DDS)」を設置し、グクーニ派をはじめとする反対派に対して多数の拷問や殺害を行ったとされている。また、複数の少数民族に対するジェノサイドの事例も報告されている。イッセン・ハブレは1990年に失脚した後、セネガルに亡命したが、後任のイドリス・デビ大統領が設置した委員会は1982年に、ハブレ氏による統治時代に4万人の粛清と20万件の拷問があったとする報告書を発表した。

チャドの裁判所は2008年の欠席裁判で、ハブレ氏に対して死刑判決を下したが、セネガル側が身柄の引渡しに応じず、拘束には至らなかった。その後、2013年7月に、アフリカ特別法廷はイッセン・ハブレと側近らを、人道に対する罪などの罪状で起訴するとともに、身柄を拘束した。ハブレ氏はアフリカの元国家元首が他国の裁判で裁かれる初のケースとなる。また、2013年12月には国際NGO団体のヒューマン・ライツ・ウォッチが、13年にわたってハブレ氏による人権侵害を調査した結果をまとめ、「死の荒野」と題した報告書を作成したことを発表した。

関連サイト:
チャド: ハブレ前政権は組織的に残虐行為を行っていた - ヒューマン・ライツ・ウォッチ