2014年1月17日金曜日

アブドルファッターフ・アッ=シーシー

別名:アブドルファッターフ・サイード・フセイン・ハリール・アッ=シーシー
別名:アブデル・ファタハ・シーシ
別名:シシ第1副首相
別名:シーシー第1副首相
別名:アッシーシ第1副首相
別名:シシ国防相
別名:シーシー国防相
別名:アッシーシ国防相
英語:Abdul Fatah Al-Sisi
英語:Abdul Fatah Saeed Hussein Khalil Al-Sisi
英語:General Sisi

1954年生まれのエジプトの軍人、政治家。1977年に軍学校を卒業後、エジプト軍最高評議会の最も若いメンバーとなるなど、軍で経歴を重ねた。

アブドルファッターフ・アッ=シーシーは、2012年8月に、ムハンマド・ムルシー大統領がムハンマド・フセイン・タンターウィーを国防大臣および軍最高評議会議長から解任したのに伴い、少将から大将に昇進し、タンターウィーの後任として国防大臣と軍最高評議会議長を兼ねることとなった。

アブドルファッターフ・アッ=シーシーは、2013年7月のエジプトクーデターにおいて、政府に対して事態の収拾を要求するとともに、要求に応えない場合は軍が介入するという最後通告を突きつけた。軍が公然と反政府勢力に加担することはなかったが、アッ=シーシーは事実上、ムハンマド・ムルシー大統領の解任を主導する立場となった。アッ=シーシーは、クーデター後に発足したハーゼム・エル=ベブラーウィー暫定内閣で、第一副首相に就任した。軍のトップであるアッ=シーシーが要職に就いたことから、ベブラーウィー暫定内閣は軍事政権と見なされている。

アブドルファッターフ・アッ=シーシーは「TIME」誌が2013年にパーソン・オブ・ザ・イヤーの選定にあたって行った読者投票において、約200万票のうち45万票を獲得して1位となった。得票の多くはエジプトからの票だとされている。アッ=シーシーは2013年のクーデター後、民衆の英雄といわれたほどの強い支持を受けたが、その人気が票に反映されたものと見られている。しかし、アッ=シーシーはパーソン・オブ・ザ・イヤーのファイナリスト10名には選ばれなかった。