読み方:やまもとぼうようどくしょしつ
別名:山本読書室
別名:山本亡羊読書室旧蹟
別名:山本亡羊読書室旧跡
別名:平安読書室
別名:亡羊読書室
別名:山本亡羊講学舎
別名:山本亡羊講学舎旧跡
江戸時代後期の本草学者、山本亡羊が現在の京都市下京区に創設した私塾、あるいはその跡のこと。薬草園を備えており、本草学のほか、医学や儒学なども教えられていたといわれている。1864年の禁門の変で焼失し、現在跡地には山本亡羊の子孫が住んでいる。また、門前には私塾の跡であることを示す石碑が建てられている。
山本亡羊は小野蘭山の高弟であり、著書「百品考」などが知られている。京都学派の代表的人物として小野蘭山の跡を継ぎ、山本榕室(山本錫夫)など5人の子とともに、多くの蘭山門下生の指導にあたった。
2014年2月に、山本亡羊読書室跡の土蔵から、平安時代から明治時代にかけての様々な分野にわたる数万点の史料が発見され、その中には重要文化財級の史料も数百点含まれていることが明らかにされた。土蔵に重要史料が多く残されていたことには、山本亡羊の孫にあたる山本復一が岩倉具視の秘書を務め、「岩倉公実記」の編纂に携わったことが関係している。史料は京都府立総合資料館で保管されることとなった。
史料には徳川慶喜が新政府軍に江戸攻撃の中止を求めた直筆の嘆願書や、岩倉具視が西南戦争の時に用いた暗号表などが含まれていた。また、1862年の元日に発行された新聞も見つかり、これは日付が確実な現存する新聞としては、日本最古のものであることが明らかになった。