2014年2月20日木曜日

長久保赤水

読み方:ながくぼせきすい
別名:長久保玄珠
別名:源五兵衛

1717年に常陸国多賀郡(現在の茨城県高萩市)に生まれた、日本の地理学者。特に、「改正日本輿地路程全図(赤水図)」の作者として知られる。長久保赤水は農民の出身で、鈴木玄淳、名越南渓、小池友賢などに師事し、天文学や漢学を学んだ。52歳の時に水戸藩の郷士となり、水戸藩主徳川治保の侍講も務めた。

長久保赤水は、「東奥紀行」「長崎行役日記」などの旅行記を著したほか、世界地図の「地球万国山海輿地全図説」、中国の地図を時代別にまとめた「唐土歴代州郡沿革地図」など、豊富な地図を残した。

「改正日本輿地路程全図」は、1774年に長久保赤水自身が作成した「日本輿地路程全図」の改訂版として、1779年に出版された地図である。伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」の42年前に出版され、広く庶民にも流布した。この地図には、北海道(蝦夷地)や小笠原諸島、沖縄などを除く日本全土が描かれており、刊本としては初めて緯線と方角線が記された日本地図だとされている。伊能忠敬の地図と異なり、実測された地図ではないが、20数年に及ぶ文献調査に基づき作成され、高い完成度を誇っている。

「改正日本輿地路程全図」には、竹島が当時の「松島」の名で描かれており、日本側の竹島領有を示す最古の地図ともされている。韓国の東北アジア歴史財団の主張では、「改正日本輿地路程全図」が私撰の地図であること、竹島が彩色されていないこと、経緯度線の外に描かれていることなどを挙げて、地図の証拠能力の乏しさ、あるいは長久保赤水が竹島を日本の領域外と見なしていたことを主張しているが、島根県は「Web竹島問題研究所」において、いずれも根拠のない主張だとして反論している。

2013年に、長久保赤水の出身地である茨城県高萩市に、市民有志の働きかけによって赤水の銅像が建立された。また、島根県は2014年2月に、「竹島の日」式典で長久保赤水の子孫を表彰することを発表した。

関連サイト:
韓国が知らない10の独島の虚偽 - Web竹島問題研究所(島根県)