2014年2月21日金曜日

安龍福

読み方:あんりゅうふく
別名:アン・ヨンポク
別名:安竜福
別名:アンピンシャ
英語:An Yong-bok

17世紀末に2度にわたって日本を訪れた、釜山出身の朝鮮の漁民。日本で、鬱陵島および「于山島」が朝鮮の領土である旨の主張を行った。その証言内容あるいは証言の信憑性は、現代の日韓両国の間にある竹島問題の重要な争点となっている。

安龍福は1693年に、鬱陵島で日本人に捕らえられ、日本に連行された。当時の鬱陵島では、大谷家と村川家が江戸幕府の公認を受けて漁などを行っていたが、朝鮮では鬱陵島への立ち入りが禁止されており(空島政策)、安龍福の鬱陵島における漁は不法行為であった。江戸幕府は安龍福を朝鮮に引き渡すとともに、朝鮮側に鬱陵島への出漁禁止を取るよう要請したが、この出来事がきっかけとなって鬱陵島に関する領土問題が起こり、結果的に江戸幕府は鬱陵島を放棄することとなった(竹島一件)。なお、この時に安龍福は、将軍から「鬱陵島と于山島を朝鮮領とする」旨の書契を受け取ったとしているが、帰国の途、対馬藩で奪われたと主張している。

1696年に、安龍福は密航により、再び日本を訪れた。その目的は、鬱陵島および「于山島」の領有権の主張であったとされる。しかし、鬱陵島の放棄については、その時既に江戸幕府が決定しており、安龍福はそのことを知らなかった。安龍福は鳥取藩主に対して、両島の領有について直談判し、将軍への上訴は失敗したものの、江戸幕府が両島を朝鮮の領土であることを認めたと証言している。

安龍福の証言の中には、明らかな虚言が数多く含まれていることから、発言の信憑性は薄いと考えられている。また、「将軍から書契を受け取った」「鳥取藩主に直談判した」などの重要な事項についても虚言の疑いが強いとされている。当時、釜山の東莱府も、安龍福を「漂風の愚民」であり、「王朝の知る所ではない」と断じている。そもそも、安龍福の言う「于山島」が現在の竹島(独島)であるとは考えられていない。

しかし、安龍福は韓国では国民的英雄として広く知られており、竹島問題に関する韓国側の主張も、安龍福の証言、あるいはそれを基に製作された古地図などに依拠する点が多い。

関連サイト:
韓国が知らない10の独島の虚偽 第5回 - Web竹島問題研究所(島根県)