2013年11月15日金曜日

震災遺構

読み方:しんさいいこう

震災の影響を受け、本来の機能を果たさない状態で残存している建造物のこと。

一般的に、震災遺構が手付かずで放置されることは少なく、修理や安全確認がなされた上で保存のための措置が取られるか、あるいは解体・撤去されることが選択される。保存が選ばれた場合には、遺構の周辺に公園や博物館、記念碑などが設けられることがある。また、遺構の一部が保存され、残りが撤去されることもある。

震災遺構を保存する主な目的は、震災の惨状を目に見える形で残すことにより、震災当時の記憶を風化させず、その後の防災意識の向上に繋げるというものである。また、震災遺構が観光資源となり、地域の活性化に繋がることが期待されることもある。

一方で、管理に経費を要すること、劣化に伴って倒壊の危険が生じること、被災者や遺族の辛い記憶を呼び起こしてしまうことなどを理由に、震災遺構が復興の妨げになるとして、その撤去が主張されることもある。中には、財源不足などにより、十分な議論がなされないままに撤去が行われてしまう場合もある。

過去には、1991年の雲仙普賢岳の火砕流で全焼した旧大野木場小学校の校舎が「砂防みらい館」として整備され、火山災害の実態を伝える教育拠点および観光資源として利用された例や、1995年の阪神・淡路大震災の遺構である「神戸の壁」が北淡震災記念公園に移設されて保存された例がある。

2011年に発生した東日本大震災の際には、宮城県気仙沼市の「第18共徳丸」や、南三陸町の「防災対策庁舎」をはじめとする大量の震災遺構が発生したが、保存か撤去かの議論の末、撤去が行われた例も多い。2013年11月に復興庁は、東日本大震災で被災した各市町村に対して、最大1つまでの震災遺構の保存・撤去費用を支援する方針を発表した。