2013年12月26日木曜日

スレブレニツァの虐殺

読み方:スレブレニツァのぎゃくさつ
別名:スレブレニツァの悲劇
別名:Masakr u Srebrenici
別名:Масакр у Сребреници
英語:Srebrenica massacre
英語:Srebrenica genocide

1995年7月にボスニア・ヘルツェゴビナ東部の都市スレブレニツァで起こった、スルプスカ共和国軍によるボシュニャク人に対する大量虐殺。

スレブレニツァの虐殺は、1992年から1995年まで続いたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の末期に発生し、第二次世界大戦後にヨーロッパで起こった最大の虐殺とされている。当時、スレブレニツァには約40000人のボシュニャク人がいたとされるが、そのうち約8000人が虐殺されたとされている。

スレブレニツァの虐殺は、2004年に旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)において、ジェノサイドであると正式に認定された。同年、スルプスカ共和国は、初めて虐殺を事実と認めるとともに謝罪した。また、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷では、虐殺を指揮したとされる複数名が裁判にかけられている。当時のセルビア共和国大統領として虐殺に関与したとされるスロボダン・ミロシェヴィッチも訴追されたが、判決を受けないまま2006年に獄死した。

スレブレニツァには当時、PKOの国際連合保護軍(UNPROFOR)に参加したオランダ軍が駐留していたが、虐殺行為を止めることはできなかった。スレブレニツァの虐殺後、オランダはPKOへの参加に慎重な姿勢をとるようになり、2000年の国際連合エチオピア・エリトリア派遣団(UNEEE)参加に際しても反対論が強かった。虐殺被害者の遺族は、当時のオランダ政府が保護責任を怠ったとして賠償を求める裁判を起こし、2013年12月にオランダ最高裁判所は、政府の責任を認める判決を下した。これは、PKOに参加した国の政府が責任を問われた初の事例となった。