2014年2月24日月曜日

ラスク書簡

読み方:ラスクしょかん
英語:Rusk documents
英語:Rusk note of 1951
英語:Rusk note
英語:Rusk–Yang correspondence

1951年8月10日に、米国政府が韓国政府に対して、サンフランシスコ平和条約の草案に関する韓国側の要望を退ける旨を通達した文書。米国の極東担当国務次官補、ディーン・ラスクの名をとって、ラスク書簡と呼ばれている。ラスク書簡は、竹島(韓国名:独島)の領有権を日本が持つことの論拠として引用されることが多い。ラスク書簡の存在は、1978年に初めて明らかになった。

ラスク書簡において米国政府は、「竹島を日本の放棄領土に含め、ポツダム宣言受諾の時点で放棄したものとする」という内容の韓国の要求を受け入れなかった。その理由としては、竹島が「never treated as part of Korea(韓国の一部として扱われたことは一度もない)」ことを挙げている。

韓国政府はラスク書簡の受領後、その内容を無視する形で1952年に李承晩ラインを宣言し、竹島の実効支配を進めた。米国はその後、1954年の「ヴァン・フリート特命報告書」において、李承晩ラインが違法であること、竹島が日本の放棄領土に含まれないこと、米国政府が韓国側に、領土問題を国際司法裁判所に付託するよう非公式に伝えたことなどを明記し、ラスク書簡と同様の立場を示している。また、2008年7月30日のホワイトハウス定例記者会見でも、米国がラスク書簡当時の見解を変えていないことが明らかにされた。

また、ラスク書簡では、竹島問題のほかに、在日韓国人の財産補償についても触れられている。米国政府は、日本政府が戦時中に在日韓国人の財産権を侵した事実がなく、在日韓国人が日本国民としての地位にあったことを理由に挙げて、日本政府には損害補償の義務がないとしている。

関連サイト:
ラスク書簡(日本語訳) - Wikisource
サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い - 外務省