2014年3月3日月曜日

グルジア侵攻

読み方:グルジアしんこう
別名:ロシアのグルジア侵攻
別名:ロシア軍のグルジア侵攻
別名:露軍グルジア侵攻
別名:グルジアへの露軍侵攻

2008年8月に、ロシア軍がグルジア領内に侵攻(越境進軍)し、グルジア軍と交戦した出来事。南オセチア紛争のきっかけとなった。ロシア軍には侵攻の約1週間後までに停戦命令が下され、約2か月後には、グルジア領内から完全に撤退した。

グルジア北部の南オセチアおよびアブハジアは、それぞれオセット人、アブハズ人が多数居住する地域であり、いずれもグルジアからの独立を求めて、1990年代から武力行動を起こしてきた。ロシアは南オセチアおよびアブハジアの住民に市民権を付与したり、周辺で軍事演習を行うなど、両地域に対する影響力を強めていた。一方、米国はグルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ政権を支持しており、共同軍事演習などの形でグルジア軍への支援を行っていた。

地域の緊張が高まる中、2008年8月7日に、グルジア軍は南オセチアに進軍し、主都のツヒンヴァリを占拠した。ロシア軍はそれとほぼ同時に、アブハジア軍とともにグルジア領南オセチアへの侵攻を行った。この時、少なくとも1万5千人のロシア軍兵士がグルジア領内に侵攻したといわれている。なお、グルジアとロシアのどちらが先制攻撃を行ったかについては、双方の主張に食い違いがある。ロシア側は、越境進軍を行った理由として、ロシアとグルジアの間で結ばれていた停戦・平和維持協定に、グルジア側が違反したことを挙げた。米軍は、ロシアのグルジア侵攻に際して、グルジア軍を支援する軍事行動は起こさなかった。

なお、ロシアのグルジア侵攻が起こった当時には、北京オリンピックが開催されており、ロシアの軍事行動を「オリンピック休戦」の決議に反するとして非難する向きもあった。

2014年2月からロシアによって行われたウクライナ侵攻は、「自国民保護」を名目としているなど、グルジア侵攻と共通点が多いことが指摘されている。2014年3月2日付のMSN産経ニュースでは、「グルジア侵攻の再現」という表現が用いられた。

関連サイト:
グルジア侵攻の再現…「自国民保護」錦の御旗に - MSN産経ニュース