2013年11月1日金曜日

田中正造

読み方:たなかしょうぞう

明治時代の政治家。天保時代である西暦1841年に生まれ、1890年に第1回目となる衆議院議員総選挙に当選し帝国議会議員となった。1913年没、享年71歳。

田中正造は、いわゆる「足尾銅山鉱毒事件」に関する一連の取り組みによって知られている。告発者として国会で取り上げ、各地で演説なども積極的に行っている。議員時代を通じて、さらに議員辞職後も、一貫して同問題に取り組み続けた。その様は公害問題に半生を捧げたとも表現しうる。

他方、田中正造は、足尾銅山鉱毒事件について陳情するため、明治天皇へ直訴しようとしたことでも知られている。当時、天皇は大日本帝国憲法のもと帝国議会において大権を有する国家元首であった。直訴は未遂に終わっているが、世間では大きく取り沙汰された。なお、田中正造は直訴に踏み切った時点ですでに議員を辞職している。

田中正造の天皇陛下への直訴について、同時代の作家・木下尚江が「臨終の田中正造」と題する一文を綴っている。「臨終の田中正造」では、直訴事件によって田中正造が世間から狂人の烙印を押されたことを伝えると共に、田中が直訴を行った時点ですでに死ぬ覚悟を決めていたであろうことを示唆している。

関連サイト:
臨終の田中正造 - 青空文庫