2013年12月4日水曜日

フランソワ・ボジゼ

別名:フランソワ・ボジゼ・ヤングヴォンダ
別名:François Bozizé
別名:François Bozizé Yangouvonda

1946年生まれの、ガボン生まれの中央アフリカ共和国の政治家。2003年から2013年にかけて、中央アフリカ共和国の大統領を務めた。

フランソワ・ボジゼは1970年代に共和国軍の軍人となり、2001年まで、当時の中央アフリカ共和国大統領、アンジュ=フェリクス・パタセの部下として軍の幕僚長などを務めた。しかし、2001年のパタセ大統領へのクーデター未遂事件をきっかけに、ボジゼとパタセの仲は険悪となり、以後ボジゼは独自の勢力を率いて反政府活動を行うようになった。ボジゼは2003年にクーデターを起こし、パタセ大統領を追放するとともに、自らが大統領に就任した。

フランソワ・ボジゼを指導者とする中央アフリカ共和国政府は、2004年から反政府勢力「統一民主勢力連合(UFDR)」と内戦状態にあったが、2007年に和平交渉が成立した。しかし、その後UFDRとの関係が悪化し、政府は新たにUFDRと複数の軍事勢力が連合した反政府組織「セレカ」と対立することになった。

ボジゼ大統領は、ダイヤモンドやウランなどの資源提供などを見返りとして南アフリカ政府の支援を受け、セレカの鎮圧にあたっていたが、2013年3月にセレカによって首都バンギが制圧された。これに伴い、ボジゼは大統領の座を失って国外へ逃れた。なお、その後、ボジゼの自宅から2体の白骨遺体が発見されるという出来事が起こった。