しかし慣用句とことわざは、必ずしも明確に区別できるとは限らず、その境界線は多分に曖昧です。慣用句でもありことざわでもあるような表現は多々あります。
「慣用句」「ことわざ」の意味・読み方は?
慣用句は「かんようく」と読みます。慣用句は特別な言い回し、表現が繰り返し使用されてきた後、意味が固まってきたもののことです。たとえば、「首を長くして待つ」という慣用句を例に挙げましょう。この場合、本当に首が長くなっているわけではありません。しかし、「待ち遠しいことがあって様子を見るために、首を長くしたい」という言い回しを続けているうちに新しい意味が生まれてしまったのです。慣用句はそれぞれに独自の意味があり、「腹が立つ」「足を伸ばす」など、日常的に使われているものもたくさんあります。それに対し、ことわざは漢字で「諺」と書きます。ことわざは慣用句よりもやや複雑な文章、熟語です。日常的に使うわけではなく、何らかの教訓や定理を伝えるために引用されます。代表的なものに、「犬も歩けば棒に当たる」「馬の耳に念仏」などが挙げられるでしょう。ことわざも慣用句と同じく、膨大な量があります。その多くは故事、古典文学に由来しています。偉人の名言がことわざとして残った例も少なくありません。なお、ことわざは日本独自の文化ではなく、世界中に地域ならではの表現が残されています。
「慣用句」「ことわざ」の使い方、使い分けは?
生活に密接しているのは、ことわざよりも慣用句だといえるでしょう。慣用句は日常的な会話の中にもたくさん使われています。特に意識しなくても、慣用句を口にしてしまうケースは少なくありません。「歯が立たない」「手を出す」など、老若男女問わずに知られている慣用句はたくさんあります。慣用句の使い方で、特徴的なのは「言い回しを多少変えても意味が変わらない」ことです。たとえば、「穴があったら入りたい」という慣用句は「穴があれば入りたい」「穴に入りたいくらいの気持ちだ」と変えても、意味が伝わるでしょう。慣用句はニュアンスさえ伝えれば、単語の並びや言い方を調整しても許される表現です。一方で、ことわざは慣用句よりもやや文語的、形式的だといえます。「船頭多くして船山に上る」「地獄の沙汰も金次第」といったことわざを日常的に使う人は少数派です。なぜなら、ことわざは先人の残した教訓を語り継ぐものだからです。そのため、ことわざを使うタイミングは限られています。誰かに説教をしたり、文章を書いたりするときでなければ使うことがありません。さらに、ことわざは少しでも言い回しが変わると、表現の正しさが損なわれてしまいます。「船頭が多ければ船は山に上がる」といっても、なんとか意味は伝わるでしょう。ただし、ことわざとしては「間違っている」とみなされます。
すなわち、慣用句とことわざの使い分けは「日常会話か否か」という部分で判断するのが得策です。日常会話であれば、慣用句を使っても問題ありません。しかし、ことわざを日常会話で使おうとすると、不自然な印象を与えてしまいます。また、ことわざには慣用句ほど意味が浸透していないものも多いといえます。相手が知らないことわざを急に言っても、意図が伝わらないので要注意です。
「慣用句」「ことわざ」の用例・例文
普通に誰かと会話をしているだけで、慣用句は次々に登場してくるでしょう。たとえば、「頭を抱える」「首をひねる」などは有名な慣用句です。「頭を抱える」は「処理できない事態に思い悩む」という意味です。「舞い込んだトラブルに頭を抱える」といった使い方をします。「首をひねる」は「疑問に感じる」という意味で、「不自然な行動に首をひねった」といった用法があります。慣用句と比べたとき、ことわざはさりげなく使うのが難しい言語表現です。なぜなら、ことわざには深い教訓が込められているので、堅苦しいイメージが定着しているからです。それでも、「笑う門には福来る」「千里の道も一歩より」などといった前向きなことわざは、スピーチや講義に引用しやすいでしょう。また、フォーマルな場で話すときに、あえてことわざを含めるテクニックもあります。先人の言葉を引用することで、話の説得力が増すからです。「石の上にも三年という言葉がありますが」「急がば回れといわれるように」などと、話の前置きに使うのも定番です。