2022年1月25日火曜日

秀才と天才の違い

皆さんの周りには何でもできてしまう人だったり、特に勉強していなさそうなのにとても成績がいい人はいますか。そのような人に対して、周りの人は「あいつ天才だなあ。」とか「やっぱり秀才は違うね。」などと言うことがあるかもしれません。しかし、「天才」と「秀才」とは何が違うのでしょうか。どちらも頭がよかったり、ある分野に秀でている人に使われる言葉ですが、何か違いがあるはずです。今回はその違いを説明します。

「天才」「秀才」の違い・概要

まず「天才」とは、ある分野のみに対して特別な才能を得ている人のことで、それは生まれた時から備わっている才能です。また生まれつきの才能であるため、感覚的な発想や表現をすることが多いです。次に「秀才」とは、様々な分野に対して自ら努力して、優秀な結果を出す人のことです。また努力で能力を発揮するため、論理的な考え方をすることが多いです。例えば、「天才」は数学だけ勉強しなくても満点が取れて、解説も感覚的で一般人にはわかりにくいです。一方「秀才」は数学だけでなく他の教科で90点以上取れて、解説も論理的であるため、わかりやすい説明をすることができます。

「天才」「秀才」の意味・読み方は?

「天才」は「てんさい」と読み、その意味は、「生まれつき備わっている、非常に優れた才能、あるいは、その才能を持っている人」という意味があります。より具体的には、「天才」は、生まれつきの才能により、その才能を与えられた分野で人が努力しただけでは絶対に追いつけないような圧倒的な結果の差を見せる人のことを意味します。つまり、論理的に結果を出す人というわけではなく、圧倒的なひらめきの力により優秀な結果を残す人を意味することが多いのです。

一方、「秀才」は「しゅうさい」と読み、「特に学問の領域で、普通の人よりも優れた能力を持っている人」を意味します。具体的には、「秀才」は、生まれつき与えられた才能はないが、後天的な訓練や努力により身に着けた優秀な能力を持っている人のことを意味します。つまり、「秀才」は、「天才」と違って、ひらめきではなく、地道な努力とその過程を積み重ねることにより、優秀なパフォーマンスを発揮する人のことです。故に、「秀才」という言葉を使うときには、一定以上の努力を経て、非常に優れた結果を出せた人というニュアンスが伴います。

「天才」「秀才」の使い方、使い分けは?

「天才」は、ある分野に突出した才能を発揮する人物のことで、その使われる範囲は、学術だけでなく、芸術やスポーツの分野にまで及びます。そのため、先ほど例に挙げた5教科の中で数学だけ教科書を一回読んだだけでいつも満点な子だったり、子供のころから写真のような絵を描く子、全く未経験のやり投げで記録更新する人のことを指して、「彼はこの分野の天才だ。」というような使われ方をします。

「秀才」は、特に学問領域において、優秀な成績を修める人のことで、使われる範囲としては、学問分野で結果を残した人に使われることが多いです。しかし、学問分野以外でも使われることがあります。「秀才」の使い方の例としては、教科書を何回も読んで、たくさん勉強して5教科ですべて満点を取る人や絵の技術や基礎を徹底して学び続けて素晴らしい絵を描く人などに対して、「努力して優秀な成績を修めているなんて彼は秀才なんだろう。」というような形で使われることが多いです。

一般に、「天才」と「秀才」の使い分けの基準となる点は、「天才」と「秀才」の意味の違いです。つまり、努力をしてできるようになったのか、あるいは最初からできていたのかという点だったり、様々な分野に対して優れた能力を持っているのか、一つの分野に対して特化しているのかという点です。例えば、歩いているときに突然新しい数学の公式を思いついたり、頭の中の実験で常識を覆すような理論を提唱できるような人には「天才」という言葉を使うべきです。そして、10年間ある分野を研究し続けて、新しい理論や方法を見つける人は「秀才」という言葉を使うべきです。つまり、「天才」と「秀才」は両方とも優れた結果を出しますが、その結果に至るまでに、一定以上の努力をした結果なのか否かという点を使い分けの基準とすべきです。

「天才」「秀才」の用例・例文

「天才」という言葉の例文として、寺田寅彦の「アインシュタイン」での「この時代の彼の外観には何らの鋭い天才の閃きは見えなかった。」という文が挙げられます。これは、幼いころのアインシュタインの見た目や雰囲気からは、過去に相対性理論などの人類史に残る大きな功績を遺すほどの他を圧倒するようなひらめきは感じられなかったということを言うために「天才」という言葉が使われた例です。

また、「秀才」という言葉の例文として、「彼は高校のころ、学年で1,2を争う秀才だった。」という文を挙げることができます。高校の頃に、生まれながらの才能ではなく、たくさん努力して学年で1,2を争うほど優秀な成績を修めていたということを言うために「秀才」という言葉が使われています。このように、「秀才」という言葉を使うときは、「努力をした結果、優れた結果を出せた」というニュアンスが込められているのです。