「理論」「論理」の違い・概要
「理論」は、「相対性理論」や「ゲーム理論」や「モチベーション理論」「経営理論」のような使い方がされます。それに対して「論理」は、「君の意見は、論理的ではありません。」のように使われます。「アインシュタインは論理的に考えて相対性理論を導き出しました。」のように使えるのです。または、「相対性理論は、アインシュタインに論理的思考力があったからこそ完成したのです。」のように使うこともできます。「理論」は結論に対して言う言葉であり、「論理」は過程に対して言う言葉なのです。「理論」「論理」の意味・読み方は?
要するに「理論」は、考え抜いた結論として導き出された「法則」や「体系」のことです。バッティング理論や愛着理論、インフレーション理論などいろいろな理論があります。バッティング理論は、「たくさん打てるために、いろいろ試して考えぬいて到達した一つの法則または理屈」です。野球チームの監督などは多かれ少なかれ持っているものです。「イソップのうさぎとかめの法則」といえば、「どんなに才能があっても怠けたり油断したりしていると、あまり才能はなくてもコツコツと努力を積み重ねてきたものに最後には負けてしまうものです。」ということを伝えている法則です。理論は「イソップのうさぎとカメの法則」の「法則」の部分とほぼ同じ意味で使うことができるのです。ところで、「理論」は「りろん」と読みます。英語でに置き換えるとしたら、「theory(セオリー)」です。「論理」は、物事を考える過程での「筋道」、「組み立て方」のことです。「論理的に考えるくせを身につけましょう。」のように使うことができます。また、「論理に飛躍がある」という使われ方もよく耳にします。筋道よく考えていかずに、いきなりなんの関連性もないことを考え、そこから結論を導き出してしまう思考の過程に対して言っているのです。このような思考過程から導き出された結論は説得力のないものになってしまいます。ところで、「論理」は「ろんり」と読みます。英語に置き換えるとしたら、「logic(ロジック)」です。
「理論」「論理」の使い方、使い分けは?
「理論」「論理」は、意味が違いますので、使い方もちがいます。「理論」は、考えかたの過程を表す言葉ではありません。「理論」には、その「理論」を知っていてもその理論がどのような過程で導き出されたのかを知らない、または説明できないものはたくさんあります。それでも生活の中ではその理論を使って、説明したり学習や研究を進めたりしています。一方、「論理」は、「あなたの言っていることは論理的ではない。」のように使うことができます。この場合、「言っていること」が結論にあたります。その結論を導き出した思考過程の筋道が通っていないことを伝えたいのです。
「君の集客理論は、すばらしいね。採用させてもらうよ。」と社長が言ったとします。集客理論とは、「こうすれば、客がたくさん来ますよ。」という法則です。この場合、社長がすばらしいと感じたのは、その法則なのです。その法則を導くために考えた過程の筋道ではありません。もし、社長が集客理論にいたるまでの考え方をほめたいのだとしたら、「君の集客理論のための論理は、すばらしいね。」と言うべきです。そして、その後に社長は、「しかし、君の理論のように実際には人は動かないよ。所詮君の理論は、机上の空論なのだよ。」という言葉を続けることもできるわけです。
「雨が降ると客が減るという理論がありますが、それでは利益があがりません。ぜひ、雨の日の集客を増やす方法を論理的に考えてみてください。」と言われたとします。「理論」は「法則」、「論理」は「筋道を立てて考えること」と置き換えてみると理解しやすくなります。「雨が降ると客が減るという法則がありますが、それでは利益があがりません。ぜひ、雨の日の集客を増やす方法を筋道を立てて考えてみてください。」という意味です。
「理論」「論理」の用例・例文
・どの理論を使えば、その解答を導くことができるのでしょうか。・イソップのありときりぎりす理論について考える。
・暖かい冬は服が売れないという理論は本当だろうか。
・太陽が地球の周りを回っているという理論はくつがえされました。
・あなたの論理には一貫性がありません。
・あなたの論理は飛躍しています。
・論理の飛躍を指摘されてしまいました。
・友だちに論理の矛盾を指摘されてしまいました。
・論理的に考えれば、簡単に解ける問題です。
・論理的に考えたので、その理論に到達することができました。
・論理的考えた方が良いと友人にアドバイスをしました。
・論理的考えたので、その難問を解決することができました。